文明の始まりは本当に紀元前3,000年?ギョベクリ・テペが覆す定説
文明の始まりは本当に紀元前3,000年なのか?
現在、一般的には「世界四大文明(インダス・メソポタミア・エジプト・黄河文明)」は紀元前3,000年ごろに始まったとされています。しかし実際には、それよりはるか以前から人類は生活を営んでおり、高度な暮らしをしていたと考えられる遺跡も数多く発見されています。
特に注目すべきは、トルコのシャンルウルファ近郊にあるギョベクリ・テペ遺跡です。この遺跡は1万年以上前のものとされており、世界四大文明よりも圧倒的に古い時代の文化的痕跡を残しています。
文明の起源が「紀元前3,000年」とされた理由
ではなぜ、現在の歴史学では文明の起源が紀元前3,000年ごろとされているのでしょうか?
その謎を読み解く鍵のひとつが、『OAHSPE(オアスペ)』の第24書「対ジェホヴィ戦争の書」にあります。
簡潔に言えば、これはデユスの没落後に起こった現象とされています。各地で神々が創造主を名乗りはじめた時期、自分こそが「最初の存在」であることを主張するために、それ以前の文明の痕跡を意図的に消し去ったというのです。自分より前の記録があっては、「創造主」とは名乗れません。そのため、前文明の遺物を破壊したのは、ある意味で必然の流れだったと考えられます。
エジプト神オシリスだけが選んだ「記録を残す」という選択
そんな中、エジプトを統治していた神オシリスだけは例外でした。他の神々が文明の痕跡を消すことに躍起になっていたのに対して、オシリスは記録を残し、それを基盤に国を繁栄させる道を選びました。
そのため、エジプトでは比較的古い時代の記録――例えば、エジプト古王国の第1王朝・第2王朝などが今もある程度残されているのです。
とはいえ、オシリスの前の時代、つまりデユスが創造主を僭称する以前の文明については、やはりほとんどが消されてしまったようです。
デユスはいつ反旗を翻したのか?
それでは、デユスはいつ創造主に対して反旗を翻したのでしょうか?
『OAHSPE』にはその時期についての明確な記述はなく、断片的な情報しか残されていません。したがって、その時期を推定するには、現存する遺物や記録、特に古代エジプトに関するものを手がかりに探るしかないと考えられます。
今後は、『OAHSPE』の記述をもとに、デユスの反乱が起きた時期を特定していく作業が必要になります。

アヌハサジの反乱はいつ起きたのか?対ジェホヴィ戦争の時期を読み解く
対ジェホヴィ戦争の開戦時期に関する考察
本節では、偽神デウス(アヌハサジ)による反乱、すなわち「対ジェホヴィ戦争」の開戦時期について考察します。
『OAHSPE』によると、アヌハサジが反旗を翻したのは、女神クペンタアミジの周期(紀元前3950年〜紀元前1550年頃)にあたるとされています。
アヌハサジが主神領マイトライアスの主上神になるまで
アヌハサジは、かつて偽神アフラマズダ(イフアマズダの名を騙った存在)の副神でした。アフラが地獄へ堕ちた際、アヌハサジも共に堕とされます。その後、アフラが悔い改めて天界に戻った際、アヌハサジもアイルキン天界で人々の救済に協力するようになります。
アフラの信仰が深まる中で、アヌハサジは次第にその道から外れていき、ついには心を見抜かれて追放されます。ちょうどこの頃、女神クペンタアミジが降臨しています(紀元前3950年頃)。
その後アヌハサジは悪魔の指示を受け、表向きは改心したふりをして、地球近くの主神領マイトライアスの神に仕えるようになります。
アヌハサジは100年をかけて側近にまで昇進し(紀元前3850年頃)、さらに170年間仕えたのち、主上神の後継者に選ばれました(紀元前3680年頃)。
主上神となったアヌハサジと対ジェホヴィ戦争の勃発
アヌハサジが主上神に就任した当時、天界は平和を保っていました。この平和を支えていたのが、神々の合議制度「ディヴァン法」と、闇の霊魂から地球を守る要所であるマイトライアスの存在でした。
しかし、ディヴァン法は神フラガパッティが降臨した約3000年前に定められたもので、現代の状況にはそぐわない部分も多くありました。たとえば「禁欲」についての教義は、時代の流れに対応しきれず、神々の間に不満が溜まっていきました。
にもかかわらず、平和な時代の中で制度の見直しは行われず、問題点は放置されました。これに対して創造主ジェホヴィは警鐘を鳴らします。
「陽気に種を蒔く者たちは悲しみのうちに収穫するものです」
OAHSPE-24『対ジェホヴィ戦争の書』5章-6
ついに、地球の闇と戦い続ける神々の不満が爆発し、アヌハサジを担ぎ上げるかたちで、神々は創造主ジェホヴィに対して宣戦を布告します。
開戦時期の推定:2つの手がかり
OAHSPEには、アヌハサジが主上神になってから「数百年後」に戦争が起きたとされますが、明確な年は記されていません。ただし、以下の2つの手がかりから時期を推定できます。
手がかり①:『リカの書』に記された「4人の神々」
「4人の神々は光明期のたびに闇に押し流された」
OAHSPE-25『リカの書』8章-10
クペンタアミジのスペタ弧周期(2700年)において、「ダンハ(光明期)」は6回に分かれています。そのうち最初の2回(B.C.3750〜B.C.3350)に該当する期間で神々が4人闇に落ちたとあるため、アヌハサジの反乱はこの期間に起きたと考えられます。
手がかり②:古代エジプト第1王朝の戦争記録
神官マネトによる古代エジプト史には、第1王朝の王メネスが「軍を率いて国境を越えた」と記録されています。
これは、地上で同時期に起こった軍事衝突、すなわち対ジェホヴィ戦争の波及と符合する可能性があります。
ここまでの流れを時系列で下表に整理します。
B.C. | 事績 |
---|---|
3950 | 女神クペンタアミジの降臨と、スペタ弧の夜明け。 神アヌハサジ、主神領マイトライアスの主上神に仕える |
3850 | 神アヌハサジ、マイトライアスの主上神の側近となる |
3750 | ダンハ(1回目のダンハ) |
? | 神アヌハサジ、マイトライアスの主上神になる。 |
? | 神アヌハサジ、対ジェホヴィ戦争を引き起こす |
3350 | ダンハ(2回目のダンハ) 但し上天より訪れた神は闇の力に抗しきれず、精霊界のサヴァクハベンへと逃れる。 |
2850 | ダンハ(3回目のダンハ) 2回目と同様に、上天から降臨した神はサヴァクハベンへと逃れる。 |
2550 | ダンハ(4回目のダンハ) 2回目と同様に、上天から降臨した神はサヴァクハベンへと逃れる。 |
2150 | ダンハ(5回目のダンハ) 2回目と同様に、上天から降臨した神はサヴァクハベンへと逃れる。 |
1550 | 上天の神リカが地球救済のため降臨。ボン弧の夜明け。 |
参考文献, 使用画像
図書 | 著者 | 出版社 |
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古代エジプト全史 | 河合 望 | 株式会社雄山閣 |
”BEROSSOS AND MANETHO” Introduced and Translated Mesopotamia and Egypt | Gerald P. Verbrugghe John M. Wickersham | The University of Michigan Press |
OAHSPE ”A New Bible in the Worlds of Jehofih and His angel embassadors.” | John B. Newbrough | OAHSPE PUBLISHING ASSOCIATION |
画像:stable diffusion(model:protogen x3.4)より生成
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