【神話学(5)】神アヌハサジと神オシリスの反乱とは?『OAHSPE』で読み解く古代霊的戦争の真相

OAHSPEが語る、マネトの王朝区分の背後にある神話的構造

『OAHSPE』第24書「対ジェホヴィ戦争の書」には、女神クペンタアミジが降臨された時期、すなわちスペタ弧の周期(紀元前3950年〜紀元前1550年)に起きた大規模な戦争の様子が描かれています。この戦争は、偽神アヌハサジが「最高神デウス」を自称し、創造主の名を騙って地上にもたらした災厄の時代でもありました。

この戦争の勃発時期については、第1回目のダンハ(紀元前3750年)から第2回目のダンハ(紀元前3350年)までの約400年間の間であると考えられています。さらに、偽神アヌハサジが主神領マイトライアスの主上神に就任した年(紀元前3680年)を手がかりにすれば、時期をさらに絞り込むことが可能です。

この大戦の勃発により、それまで比較的平和であった地上は再び戦乱の時代に突入し、多くの国家が興亡を繰り返すこととなりました。

エジプト第1王朝から第3王朝ジェセル王までの系譜について

『OAHSPE』第24書「対ジェホヴィ戦争の書」の第48章には、エジプト王朝の起源に関する記述があります。それによれば、エジプトはもともと未開の土地でしたが、パーシー(ペルシア)地方のハイクワド国で続いた旱魃により、国王ルサグは新たな居住地を求めて移住を決意しました。

その際、神エギュプト(Egupt)の導きにより現在のエジプトの地を見出し、大勢の国民とともに移り住んだことが建国の始まりとされています。この出来事は、偽神デウスによる反逆から約700年後に起きたと記されています。

ここでは、『OAHSPE』に登場する王の系譜と、現在明らかになっている古代エジプト第1王朝の王の系譜を、それぞれ表にまとめて比較します。

  • 表1:第1王朝 王の系譜(『古代エジプト全史』より作成)
  • 表2:第1王朝 王の系譜(『OAHSPE』第24書 第48章より作成)

王朝王位王名先代との関係性備考
第1
(B.C.3000~2890)
初代ナルメル王
第12代アハ王ナルメル王の息子
第13代ジェル王ジェル王の墓はオシリス神の墓とみなされる
第14代ジェト王マネトによれば、ピラミッドを建造
第15代メルネイト王妃ジェト王の王妃
第16代デン王メルネイト王妃の息子
第17代アネジイブ王デン王の息子
第18代セメルケト王
第19代カア王
第2
(B.C.2890~2686)
初代ヘテプセケムイ王
第22代ラーネブ王
第23代ニネチェル王
第2以後、短命の王が続く
第3
(B.C.2686~2613)
初代ジェセル王現存する最古のピラミッドを造営
表1:第1王朝 王の系譜 (『古代エジプト全史』より作成)

王位王名先代との関係性備考
初代ハサックスパーシーのハイクワド国のルサグ王の息子。
エジプトの代官。
パーシーに従属
デユスの反乱から700年後にエジプトの代官となる
2代バカル王ハサックスの息子。パーシーから独立する。パーシーから独立
3代ゴス王バカル王の息子
4代ラベク女王ゴス王の娘。エジプト最初の女王。ハサックスからラベク女王まで70年間
(OAHSPE-24書-48章.7)
この間、神オシリスたちに人間への影響力は無し。
5代フワン王ラベク女王の長男
6代ナマン王フワン王の長男
7代セヴ王ナマン王の長男
8代アルマ女王セヴ王の娘
9代ホサ王アルマ女王の長男
10代ロウツァグ王ホサ王の長男神オシリスの反乱。オシリスによる天地創造の物語の改変。
11代ヒラム王ロウツァグ王の息子
12代タマス王ヒラム王の息子
13代ハンナ女王タマス王の娘神オシリスの意向により早世。
14代ホジャックス(トース)王ハンナ女王の息子オシリス神殿の建造者。
最初のピラミッドの建築
表2:第1王朝 王の系譜 (OAHSPE 24書-48章より作成)

続いて、現存する最古のピラミッドである「ジェセル王の階段ピラミッド」について触れておきます。『OAHSPE』によれば、このピラミッドはハンナ女王の御子ホジャックスによって建造されたとされており、その詳細は第48章後半から第51章にかけて記されています。

このピラミッドに関して、創造主ジェホヴィは次のように語られています。

私の敵は神殿やピラミッドに彼らの功績を刻みました。彼らの心が私の所に昇ろうとしなかったので、彼らはあらゆるものの中で最も死した存在である『石』に堕ちてしまいました。
彼らは地上の住人を腐敗と死へと堕落させました。
私を憎み、私を否定し、全能なる私を信じなかった者たちの証として、彼らの記念碑を残しておくように

OAHSPE-25『リカの書』4章-2

つまり、ピラミッドが現代にまで残されているのは、創造主とその眷属たちの意図によるものであり、現在「最古のピラミッド」とされるジェセル王のものは、『OAHSPE』におけるホジャックス王(別名:トース王)が建てたものと考えられます。

また、興味深いのは、第1王朝のナルメル王から数えて10代目にあたる第2王朝初代のヘテプセケムイ王が、『OAHSPE』においてはロウツァグ王の時代に相当する点です。このロウツァグ王の治世において、偽神オシリスがデウスに対して反乱を起こしています。

すなわち、第1王朝から第2王朝への移行の背景には、神デウスによる統治から神オシリスによる統治への交代という、霊的な意味合いが存在していた可能性があります。

ここまでの系譜を、以下に統合した表として示します。

  • 表3:『OAHSPE』の王の系譜(表1・表2を統合)
王朝王位王名
王名
OAHSPE
先代との関係性備考
OAHSPE
第1
(B.C.3000~2890)
初代ナルメル王ハサックスパーシーのハイクワド国のルサグ王の息子。
エジプトの代官。
パーシーに従属
デユスの反乱から700年後にエジプトの代官となる
第12代アハ王バカル王ハサックスの息子。パーシーから独立する。パーシーから独立
第13代ジェル王ゴス王バカル王の息子
第14代ジェト王ラベク女王ゴス王の娘。エジプト最初の女王。ハサックスからラベク女王まで70年間
(OAHSPE-24書-48章.7)
この間、神オシリスたちに人間への影響力は無し。
第15代メルネイト王妃フワン王ラベク女王の長男
第16代デン王ナマン王フワン王の長男
第17代アネジイブ王セヴ王ナマン王の長男
第18代セメルケト王アルマ女王セヴ王の娘
第19代カア王ホサ王アルマ女王の長男
第2
(B.C.2890~2686)
初代ヘテプセケムイ王ロウツァグ王ホサ王の長男神オシリスの反乱。オシリスによる天地創造の物語の改変。
第22代ラーネブ王ヒラム王ロウツァグ王の息子
第23代ニネチェル王タマス王ヒラム王の息子
第2以後、短命の王が続くハンナ女王タマス王の娘神オシリスの意向により早世。
第3
(B.C.2686~2613)
初代ジェセル王ホジャックス(トース)王ハンナ女王の息子オシリス神殿の建造者。
最初のピラミッドの建築
表3:OAHSPEの王の系譜(表1、表2を統合)

古代エジプトの王朝を第1王朝と第2王朝に分けたのは、マケドニア出身の神官マネトであったとされています。マネトは、エジプトの司祭たちが記した文献をもとに王朝を分類しましたが、偶然かもしれませんが、これは神デウスから神オシリスへの交代の時期と重なっています。

そのため、マネトが参照した文献の中には、神々の世代交代を示唆する記述が含まれていた可能性も考えられるのです。

『OAHSPE』が語るエジプト王朝の始まりとその裏にある霊的戦争

対ジェホヴィ戦争において、偽神アヌハサジ(デウス)の命によりエジプトの統治を任された神オシリスは、エジプトに暮らす創造主ジェホヴィの信仰者たちに対して掃討戦を開始しました。

この出来事はエジプトに限らず、世界各地でも同様に起こっており、神々は自らが選んだ人間の王たちを支援し、統一国家を築かせて地上の支配を進めていきました。この時代に、地上の王位には世襲制が導入されたとも伝えられています。
(出典:『OAHSPE』第24書「対ジェホヴィ戦争の書」第35章 第18節)

古代エジプト第1王朝については、現代の考古学でも詳細な情報は限られていますが、古代マケドニアの神官マネトが遺した『エジプト史(断片)』には、初代王メネスが「軍隊を率いて国境を越えた」との記述があります。

この記録を『OAHSPE』第24書「対ジェホヴィ戦争の書」第48章の内容と照らし合わせると、メネス(別名:ナルメル王、ハサックス王)はパーシー地方、つまりペルシア出身であった可能性が示唆されます。

また、この王の即位は、偽神デウスの反乱から約700年後にあたるとも記されています(『OAHSPE』第24書 第48章 第6節)。仮に、メネス(ナルメル、ハサックス)の即位年が紀元前3000年(B.C.3000)とするなら、そこから遡る700年前、すなわち紀元前3700年(B.C.3700)が、対ジェホヴィ戦争の開戦時期にあたると推定できます。

興味深いことに、この紀元前3700年という年代は、アヌハサジが主神領マイトライアスの主上神に就任した時期とほぼ重なっています。

以上のことから、アヌハサジはマイトライアスの主上神に就任した直後、あるいはほぼ同時期に、創造主ジェホヴィに対する大規模な戦争を開始したと考えられます。

ピラミッド建設に込められたオシリスの霊的意図

次に、偽神オシリスがデウスに反旗を翻した時期について考察していきます。
『OAHSPE』によると、オシリスが反乱を起こしたのは、ロウツァグ王の時代であったと記されています。

神託を通してロウツァグ王はエギュプトの図書館に天地創造の歴史、罪の起源、そしてヴェーダ語に代えてパーシー語で、アスA’suに代えてアダムAdamと呼ばれる最初の人間の創造の歴史を図書館に寄贈しました。
この記録は、3,000年後エズラが選択し、誤ってそれを『イズゼライトIz’Zerlites』と呼ばれる信仰者の教義として取り入れたものと同じものでした。
信仰者の記録は保管されず、国の記録にも許されず、ただ信仰者たちの間でのみ保管されました。なぜなら彼らは当時から救世主や国家が定める神を認めない非合法集団だったからです。

OAHSPE-24『対ジェホヴィ戦争の書』48章-11,12

ロウツァグ王が図書館に寄贈したこの歴史書には、偽神オシリスがデウスに反旗を翻した後、自ら創造主を人間として描き出す神話を創作したことが記されています。つまり、オシリスの反乱はロウツァグ王の時代に起こったと考えられます。

この反乱をきっかけに、エジプトでは第2王朝が始まりました。しかし、4代後のハンナ女王の時代、オシリスはその息子ホジャックスの聡明さに目をつけます。そしてハンナ女王を早世させ、ホジャックスを若くして王位につけたのです。

ホジャックス王(後の第3王朝初代、ジェセル王)の治世において、オシリスは彼にピラミッドの建設を命じました。そして、この王や彼に仕える神官たちを、自らの玉座がある天界アゴアデンへと召喚し、地上におけるオシリス信仰をいっそう強固なものにしていきました。

古代エジプトの神官マネトは、このジェセル王を第3王朝の初代王と記録しています。オシリスの方針が変化したこの時期に王朝の区分がなされている点は、偶然とは言い難いものがあります。
このことから、マネトが参考にしたエジプト司祭たちの書物には、オシリス信仰や神々の動きに関する記述が含まれていた可能性があると考えられます。

神アヌハサジの反乱は就任直後だった?時系列から読み解く真相

神アヌハサジが主神領マイトライアスの主上神に就任した年(紀元前3680年)は、エジプト第1王朝の成立(紀元前3000年頃)から数えて約700年前にあたる紀元前3700年と近い年代になります。
しかし、仮にこの紀元前3700年を「アヌハサジがジェホヴィに反旗を翻した年」とするならば、主上神への就任よりも前の出来事になってしまい、時系列に矛盾が生じてしまいます。

そこで本稿では、神アヌハサジが創造主ジェホヴィに対して反旗を翻したのは、主神領マイトライアスの主上神に就任した直後であると仮定し、年表を再検討することにしました。

もともとアヌハサジは、長年にわたって創造主に対する不満を募らせており、反乱の準備を密かに進めていたと考えられます。そして、主上神という地位を得て十分な影響力を確保したタイミングで、迷うことなく反旗を翻した──そのような流れが、再構成した年表から読み取れるのです。

B.C.B.K.事績
39505800女神クペンタアミジの降臨と、スペタ弧の夜明け。
神アヌハサジ、主神領マイトライアスの主上神に仕える
38505700神アヌハサジ、マイトライアスの主上神の側近となる
37505600小ダンハ(1回目のダンハ)
36805530神アヌハサジ、マイトライアスの主上神になる。
36805530神アヌハサジ、対ジェホヴィ戦争を引き起こす(推定。アヌハサジが主上神になった直後に反旗を翻すという想定)
33505200小ダンハ(2回目のダンハ)
但し上天より訪れた神は闇の力に抗しきれず、精霊エーテリア界のサヴァクハベンへと逃れる。
30004850パーシーのソウルツ王国のルサグ王、エジプトへの移民政策を実施。
息子のハサックスをエジプトの代官として派遣。
エジプト第1王朝の開闢
28904740エジプト第2王朝の開闢(初代:ヘテプセケムイ王、OAHSPE:ロウツァグ王)
この頃、オシリスがデユスに反旗を翻す
オシリスによる天地創造の物語の捏造
28504700小ダンハ(3回目のダンハ)
2回目と同様に、上天から降臨した神はサヴァクハベンへと逃れる。
26864536エジプト第3王朝の開闢(初代:ジェセル王、OAHSPE:ホジャックス(トースマ)王)
25504400小ダンハ(4回目のダンハ)
2回目と同様に、上天から降臨した神はサヴァクハベンへと逃れる。
21504000小ダンハ(5回目のダンハ)
2回目と同様に、上天から降臨した神はサヴァクハベンへと逃れる。
15503400上天の神リカが地球救済のため降臨。ボン弧の夜明け。
表4:対ジェホヴィ戦争における年表

パン大陸の滅亡からゼウスへ:神話学が追う霊的連続性

神デウスが創造主を僭称した紀元前3680年、そして神オシリスやスドガ、ティインらがデウスに反旗を翻し、各地の神々が割拠して創造主を名乗り始めた紀元前2890年――この2つの年代は、神話学において非常に重要な意味を持っています。

たとえば、日本の『日本書紀』や『古事記』に記されている神話には、日本という島国を創造した神々の系譜が語られており、それがやがて倭王(やまとおう)に受け継がれていく物語となっています。こうした神話が成立した時期は、まさにオシリスたちがデウスに反旗を翻した紀元前2890年以降のことと考えられます。

興味深いのは、神オシリスらの反乱が鎮圧され、彼らが地獄へ堕とされた後も、その神々に由来する物語が日本に残り続けたことです。そのため、日本神話には、偽神オシリスが自らを創造主と名乗った時代の影響が、独自の形で映し出されていると見ることができます。

また、古代遺跡から発掘される遺物――たとえば土偶など――を通して、どの神の影響を受けた文化かを推測することも可能です。創造主ジェホヴィは偶像崇拝を禁じているため、偶像を祀っていた文化には、別の神々の信仰が関与していたと考えられます。時代背景と照らし合わせることで、当時の人々の霊的な暮らしぶりが浮かび上がってくるのです。

たとえば、女性を象った土偶はなぜ作られたのか?
背後には女神信仰があったのではないか?
では、その女神とは誰だったのか?

このように、言葉を発しない土偶からでも、多角的な霊的・神話的視点を通じて様々な考察が可能になります。加えて、人間の行動の背後には、必ずと言ってよいほど天使や神々の意図が介在しています。天使たちは天界の動きと連動しており、たった一つの遺物からでも、天界と地上の関係性を読み解く手がかりが残されているのです。

このような視点こそが、神話学が探求すべき学術的なポイントであり、今後の研究テーマとしては、パン大陸の水没――特に「イスタに逃れたイヒン人」の動向や、現存するゾロアスター教の聖典『アヴェスタ』、その中でも古アヴェスタ語で書かれたヤスナ章の分析などを進めていく予定です。

参考文献, 使用画像

図書著者出版社
古代エジプト全史河合 望株式会社雄山閣
”BEROSSOS AND MANETHO” Introduced and Translated Mesopotamia and EgyptGerald P. Verbrugghe
John M. Wickersham
The University of Michigan Press
OAHSPE ”A New Bible in the Worlds of Jehofih and His angel embassadors.”John B. NewbroughOAHSPE PUBLISHING ASSOCIATION

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