【神話学(10)】須佐之男命から大国主命へ:神話が語る王朝交代の霊的背景

日本神話に隠された「死の起源」──ホジャブ神と伊邪那美神の霊的役割

神話は誰が作った物語なのか?

「神話」とは、そもそも誰の物語なのか──。
神話学に取り組むうえで、まず考えるべき基本的な問いがあります。

言うまでもなく、神話とは神々の物語です。
つまり、神話を創るのは人間ではなく、神々自身だということになります。

この点を最初に伝えたかったのは、日本神話に登場する天地開闢や伊邪那岐・伊邪那美の物語が、人間によって創作されたものではなく、神によって構築された霊的構造であるという理解が必要だからです。

出雲神話は出雲人の創作ではない

たとえば、伊邪那岐神と伊邪那美神が戦った黄泉比良坂の場面、須佐之男命が八岐大蛇と戦う逸話、大国主命が割拠した舞台──これらはいずれも出雲国(現在の島根県)を舞台としています。

しかし、これは出雲の住民が物語を作ったというより、出雲を拠点とした神が語った歴史だと考える方が自然です。

とくに天地開闢という畏れ多い物語を構成したのは、創造主を僭称した神──デユスの没落後に日本を支配した神であると推測できます。そして、その神が座していた玉座が出雲にあったと見なせば、日本神話が出雲を舞台に展開する理由も説明できます。

OAHSPEに描かれた「スアス」=出雲の天界

『OAHSPE』によれば、クペンタアミジが降臨したスペタの夜明けの時代、日本には**「スアス(Suasu)」**と呼ばれる天界が設立されました。

やがてデユスが反乱を起こし、日本を統治したのは**ホジャブ(Ho-jab)**という神だったと記されています(OAHSPE第24書『対ジェホヴィ戦争の書』第11章第14節)。

この記述に基づけば、デユスの崩壊後、日本において独立した神こそがホジャブ神ということになります。

伊邪那岐神=ホジャブ神だったのか?

日本神話で天地開闢の物語を構成したのがホジャブ神であり、その舞台が出雲だったのであれば、ホジャブ神の玉座が出雲にあったと推定できます。

このホジャブ神は男性神であるため、伊邪那岐神こそがホジャブ神だったと考えることもできそうです。

なぜ伊邪那美神が生まれ、死んだのか?

次に疑問となるのが、伊邪那岐神の妻である伊邪那美神の存在です。

彼女は、エジプト神話に登場するオシリスの妻イシスのように、物語上で創作された霊的存在の女神と見ることができます。

問題は、なぜ彼女が黄泉の国へと行き、夫と対立する構図が生まれたのかという点です。

人間に死が訪れた理由──神話の中の死の哲学

天地創造の物語において、デユスやオシリスもまた、「なぜ神は死なないのに人間は死ぬのか?」という難題に直面していました。

彼らはその答えとして、「人間が生命の木を食べたために死がもたらされた」と説明しています。
この考え方のもとには、創造主ジェホヴィが天使たちに「生命の木を食べてはならない」と命じた教えがあります。

ただし、この命令は死を恐れてのものではなく、生殖能力を得た天使たちが地上の人間に愛着を持ち、天界へ帰れなくなることを防ぐためのものでした。つまり、生命の木そのものが死をもたらすわけではなかったのです。

しかし、デユスやオシリスはこの教えを改変し、「人間が生命の木を食べたから死が訪れた」と物語を構成しました。彼らは生命の木を“死の原因”として描くことで、「なぜ人間は死ぬのか?」という問いに対する一つの解答としたのです。

日本神話における「死」の由来

一方、日本神話では、「人間に死が訪れた理由」を次のように描いています。

伊邪那美神は、火之迦具土神を生んだ際、その火によって命を落とし、黄泉の国へと向かいました。伊邪那岐神は妻を連れ戻そうと後を追いますが、妻との約束を破って黄泉でその姿を覗き見てしまいます。

その行為に怒った伊邪那美神と伊邪那岐神は互いに黄泉の国の住人を殺し合うことになり、人間に死が訪れるようになったという物語が成立しました。

「死」とは神々にとっても最大の哲学

このように、「死」とは神々にとっても解き明かすべき最大の哲学的テーマだったのです。

世界各地の神話が、人間の「死」をどう正当化するかに苦心していたように、日本神話もまた、霊的な意味での「死の由来」を描こうとしていたのです。

出雲神話と大国主命の誕生──神話に描かれた支配の変遷

出雲の玉座と神ホジャブ

古代日本において、出雲には天界の玉座が存在し、神ホジャブがそこを統治していたと考えられます。天地開闢の物語は、神ホジャブが構成し、それを日本の王に伝承させることで、自身への信仰を人々に広めようとしました。

この構造は、エジプトで神オシリスが行った手法と似ています。

オシリスとトースマ王の関係

神オシリスがエジプトを統治していた頃、彼はまだ人間世界に対して強い影響力を持っていませんでした(『対ジェホヴィ戦争の書』第48章7節)。そのため、創造主としての信仰を広めるためには、まず人間の「僕(しもべ)」となる王を得る必要がありました。

彼は何年もかけて、エジプトの王を自らの信徒とするために働きかけました。その成果として生まれたのが、最初にピラミッドを建てた王──ジェセル王(OAHSPEでは「トースマ(Thothma)」)です。

トースマは生まれながらにして霊的な感受性が高く、オシリスは彼が若くして即位するよう両親を病で早逝させ、その後、彼に語りかけて信徒としました。トースマは、王としてエジプトでオシリス信仰を広めていきました。

ホジャブ神と日本の王

同じように、神ホジャブも人間界で影響力を持つには、日本の王を信徒にする必要がありました。

つまり、日本神話における天地開闢の祖・伊邪那岐神は、ホジャブ神が自身を崇めさせるために創作した神であり、日本の王はこの伊邪那岐神を信仰させるための装置として機能していたと見なせるのです。

須佐之男命と日本統治の神話構造

須佐之男命は、天地開闢の祖と人間の王を橋渡しする存在でした。
おそらく、神ホジャブが構成した日本神話では、須佐之男命が出雲の王となって日本を統治する筋書きだったと考えられます。

しかし、ホジャブ神はやがてオシリスと同様に地獄に堕ち、その影響で出雲の王国も衰退します。
この衰退の物語が、のちの大国主命の伝承へとつながっていきます。

大国主命の物語

出雲の国には「八百万の神々」と呼ばれる多くの神が存在していました。これは、須佐之男命が数多くの子を生んだことによります。

その中に生まれたのが、大国主命です。彼は当初「大穴牟遅神(おおあなむじのかみ)」と呼ばれ、力の弱い神として描かれていました。


因幡の白兎との出会い

あるとき、隣国・因幡に住む美しい八上比売(やがみひめ)に求婚しようと、多くの神々が旅立ちます。大穴牟遅神は彼らに従者として従っていました。

旅の途中、気多の岬で毛をむしられた裸の兎が倒れていました。意地悪な神々は、兎に「海水に浸かり、風に当たれば治る」と偽の助言をし、兎は傷口をさらに悪化させてしまいます。

後から来た大穴牟遅神は事情を聞き、真水で洗い、蒲の穂にくるまって休めば治ると助言しました。兎は回復し、感謝として「八上比売の心を射止めるのはあなただ」と伝えます。

その予言通り、大穴牟遅神は八上比売と結ばれます。


幾度もの死と再生

しかし、彼は他の神々の嫉妬を受け、何度も謀殺されます。そのたびに神々や母の祈りによって蘇生し、生き延びてきました。

母の勧めで紀伊国の大屋毘古神のもとへ逃れ、そこからさらに根の国にいる須佐之男命のもとへと向かいます。


須勢理比売との結婚と試練

根の国で、須佐之男命の娘・須勢理比売(すせりひめ)と恋に落ちた大穴牟遅神は、試練を乗り越えながら結婚します。
須佐之男命はさまざまな苦難を与えますが、大穴牟遅神は妻の助言を受けてすべて切り抜けます。

ついには須佐之男命の髪を屋根に結び、大岩で閉じ込めて逃走。生太刀、生弓矢、天の沼琴を持ち出し、須勢理比売を伴って逃げ延びます。

黄泉比良坂で追いついた須佐之男命は、彼にこう言います。
「その剣と弓で強者たちを退け、大国主命としてこの地を治めよ。娘・須勢理比売を正妻とせよ。

こうして、大穴牟遅神は大国主命として出雲を治めることになります。


妻と子、多くの神々の系譜へ

八上比売もやって来ますが、須勢理比売の嫉妬を恐れて引き返してしまいます。それでも大国主命は他の女性とも婚姻を重ね、数多くの子をもうけ、出雲は須佐之男命の血を引く神々によって治められていくのです。

大国主命の国譲りに至る前史:王朝交代の霊的背景

神話は誰が紡ぐ物語なのか?

神話を考えるときに大切なのは、「人間が王朝を築いた歴史が神話化された」のか、それとも「神々が紡いだ物語が出雲という舞台を選び、人間に伝承された」のか、という視点です。

もし人間が神々の物語を作ったのだとしたら、それは「小説」や「伝説」と呼ばれるでしょう。本来、「神話」とは神々が紡ぐ物語だからこそ、そう呼ばれるのだと考えます。

出雲という舞台の意味

日本神話が出雲を舞台としているのは、そこに神々──この場合、日本を統治していた神ホジャブの意を受けた王が誕生し、王朝を築いたからだと考えられます。

神々は、自らの意を人間を通じて地上に実現したいと望みます。そのため、人間の王を庇護し、繁栄させることで、自分の影響力を強めようとするのです。

天地開闢の物語と神ホジャブ

デユスが没落した紀元前2800年頃、各地に割拠した神々の中のひとりであるホジャブは、自らを創造主と称し、日本において神話を創作しました。そのときに生まれたのが、伊邪那岐神と伊邪那美神による天地開闢の物語です。

ただし、黄泉の国に行った伊邪那美神では信仰を集めにくいため、神ホジャブが自身をモデルにしたのは、男神である伊邪那岐神だったのだと考えられます。

須佐之男命の王朝

伊邪那岐神の後を継ぐ存在として登場するのが、須佐之男命です。出雲の地を統治したとされる彼は神でありながら、その実態は出雲の王として描かれており、神話の中では人間的側面が強調されています。

この須佐之男命の物語までが、最初に編まれた日本神話の中核部分だったと考えられます。

王朝交代と神話の修正

のちに、何らかの事情で須佐之男命の王朝が滅び、大国主命の王朝が興ります。その際、神ホジャブは神話を修正し、新たな王朝の正統性を裏付けるため、須佐之男命から大国主命への系譜を物語に加えました。

これが、神ホジャブが地獄へ堕ちる前の最後の神話的編集作業だったと考えられます。

国譲り神話への流れ

神ホジャブはやがて、他の反乱神たちと同様に地獄へ堕ちていきます。その結果、彼の加護を受けていた出雲の王朝も衰退し、滅びの道を歩むことになります。

この滅亡の物語が、後に語られる「大国主命の国譲り」の神話へとつながっていくのです。

参考文献, 使用画像

図書著者出版社
OAHSPE ”A New Bible in the Worlds of Jehofih and His angel embassadors.”John B. NewbroughOAHSPE PUBLISHING ASSOCIATION
新版 古事記 現代語訳付き中村啓信訳注角川学芸出版
古代エジプト全史河合 望株式会社雄山閣

画像:stable diffusion(model:epicRealism)より生成

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