『東日流外三郡誌』が伝える火山信仰と生贄儀式の真相
東北地方の最北端、青森県の中でも特に厳しい冬を迎える津軽地方。その地に暮らしていた古代の民・阿蘇辺族は、どのような生活を送っていたのでしょうか。
『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』によれば、阿蘇辺族は津軽地方の名山・岩木山の噴火により衰退したと記されています。岩木山は現在も活動を続ける火山であり、その周囲には温泉が点在しています。阿蘇辺族の人々は、寒冷な気候を避けるため、温泉地帯の周辺に集落を築き、冬を越していたようです。
阿蘇部一族とは,東日流の最古の民であり,その先祖は西大陸からの渡来民である。
津軽の句には当時,山海の土地柄がよく,狩猟や漁業によって住民の飢えをよく凌ぐことができていた。ところが寒冷地であったため,津軽中央の阿蘇部平野に地面から湧き上がる温泉の周辺に集落を構え,そこで越冬するようになり,そうした民のことを阿蘇部一族と呼んだ。一族の暮らしは,全てにおいて占いが生活の要となり,占いの導き手となる者が君主の座についた。当時,津軽の地は自身が毎日のように起こり,八甲田山の噴火に続いて岩木山の噴火もあり,その火山の下敷きになって阿蘇部一族は全員滅んでしまったという。
『東日流外三郡誌』阿曽辺族之変
当時、阿蘇辺族の社会では「占い」が非常に重視されており、族長になるのは優れた占い師だったと言われています。しかし、いかに優秀なリーダーであっても、岩木山のような自然災害の前には抗えなかったのです。

この噴火により大きな被害を受けた阿蘇辺族は、古くから争いを続けていた津保化族(つほけぞく)にも圧迫され、最終的には人里離れた奥羽山脈の山奥へと退くことになります。
そして、彼らが下した決断は、現代人から見れば衝撃的なものでした。
その後,生き残った阿蘇部一族は,噴火の神の怒りを鎮めるため,火口に生贄を捧げた。八月十五日の満月の夜に,生贄に決まった娘を飾付し,火口に落して一布施した後,二布施目の品は鹿や魚を落とし,三布施目は首飾りや宝物を落としたという。
『東日流外三郡誌』阿曽辺族之変
噴火は神の怒りによるものと考えられており、それを鎮めるために生贄が捧げられました。最初の供物は若い女性、次に動物や魚、そして最後に宝飾品などの財宝が捧げられました。
現代の感覚からすれば「残酷」と感じられるこの風習ですが、当時の人々にとっては、信仰と生存のはざまで必死に導き出された決断だったのかもしれません。
悪しき神の声に抗えなかった時代――生贄信仰の背後にあるもの
私たち現代人は、「生贄を捧げても災害を止めることはできない」ということを理解しています。しかし、災害の仕組みや原因がまったく分からなかった時代の人々にとっては、見えない力をもつ「神」に頼ることも、ごく自然な選択だったのでしょう。
とはいえ、神頼みをするにしても、なぜ「人間」、それも若い娘を生贄として捧げるという発想に至ったのでしょうか?

創造主は、本来、人間が人間を殺すことを決して許していません。ですから、生贄として人を殺すという行為は、明らかに創造主の意志に反しており、むしろ闇の霊魂や邪神の働きかけによるものであったと考えるべきです。
かつてパン大陸には、闇の霊魂が満ちあふれていました。そして、これらの悪しき霊を一掃するため、大陸全体が海底に沈められたとされています。しかし、日本列島は同じパン大陸の一部でありながらも、奇跡的にその被害を免れた――そんな仮説も立てられます。
それでも、闇の霊魂の一部は生き延び、災害に怯える阿蘇辺族の人々の心に取り憑き、「最も大切な娘を殺せ」とささやいたのではないか。そうして、生贄を捧げるという悲劇が引き起こされたのかもしれません。
思い起こされるのが、聖人アブラハムのエピソードです。『OAHSPE』によれば、かつてソドムやゴモラといった悪の都市でさまよっていた闇の霊魂がアブラハムに取り憑き、「自分はお前の神だ。息子イサクを生贄にせよ」と命じたことがありました(OAHSPE-23『神の第1の書』第9章)。
しかしアブラハムは、「本当の神は、誰の命も奪ってはならぬとおっしゃっている」として、その命令を拒みました。聖人ですら霊的な誘惑を受けることがあるのです。ましてや、霊性の深さにおいてアブラハムほどに至っていない占い師であれば、闇の霊魂の声に従ってしまうのも無理はないのかもしれません。
もしこうした流れが長く続けば、やがて世界は再び「闇」に覆われてしまうことになったでしょう。
――しかし、幸いにも、そのような事態には至りませんでした。
OAHSPEと『東日流外三郡誌』が重ねる、神の声とイヒン人の証明
生贄という忌まわしい風習に終止符を打ったのは、津保化族でした。
以下に引用するのは、『東日流外三郡誌』に記された、津軽地方の語り部による伝承です。
その式目にはこうある。(津軽語部)
『東日流外三郡誌』阿曽辺族之変
天暗く,地揺れるは人の滅びる前兆であるため,その神の怒りを慰めるべく,一族の大事な宝や美しき娘を生贄に施すのである。
その選定は占い師の口より神告される。
阿蘇部一族のこうした惨憺たる風習は,津保化族の代に至るまで続いた。
この引用からわかるように、阿蘇辺族の生贄の慣習を終わらせたのは津保化族でした。
もし津保化族が神の声を聞くことができなかったならば、阿蘇辺族と同じく、闇の霊魂に操られていたことでしょう。
しかし、彼らはそうはなりませんでした。
それは、津保化族が聖人アブラハムと同じように、真の神の声を聞くことができた民族だったからです。
当時、パン大陸で神の声を聞けたのはイフアン人ではなく、イヒン人のみでした。
つまり、生贄の風習を断ち切った津保化族こそが、イスタ(日本)に逃れてきたイヒン人であったと考えられるのです。
この事実は、津保化族の霊的な使命を物語っているのかもしれません。
参考文献, 使用画像
図書 | 著者 | 出版社 |
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OAHSPE ”A New Bible in the Worlds of Jehofih and His angel embassadors.” | John B. Newbrough | OAHSPE PUBLISHING ASSOCIATION |
聖書 新共同訳-旧約聖書 | 共同訳聖書実行委員会 | 三省堂印刷/日本聖書協会 |
東日流外三郡誌 1古代篇(上) | 東日流中山史跡保存会 | 八幡書店 |
画像:stable diffusion(model:DreamShaper)より生成(アイキャッチ画像)
掲載写真:つるが市木造亀ヶ岡考古資料室所蔵 亀ヶ岡遺跡出土土偶
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