【幻の大陸と伝説】イスタに逃れたイヒン人(1)

パン大陸水没後、イヒン人は何処に向かったのか?

約24,000年前、パン(別名ワガ)と呼ばれる大陸が水没しました。
当時、神の声を聞くことができた「イヒン人」は地上に存在していましたが、戦争などによってパン大陸以外では滅び、生き残ったイヒン人はパン大陸の中でも山や谷に隠れて生き延びていました。
そのイヒン人に対し、主神から船の建造を命じるお告げがあり、彼らは138艘の船を造って待機しました。大洪水が起こると、船に乗ったイヒン人は無事に水に浮かび、生き延びました。
先導していた2艘の船はイスタ(日本)に向かい、残りの船は34艘ずつ東西南北に分かれて散り、最終的には日本に2艘,印度に34艘,中国に34艘,アメリカに34艘,アフリカに34艘が上陸しました。
但し「主神の第1の書」と「アフの書」には情報の不整合があるため、整理が必要であり、それについては以下のサイトで行っていますので、興味がある方は覗いてみてください。(【OAHSPE考察】パン大陸水没後,日本に上陸したイヒン達の動向について

24,000年前の日本について

約24,000年前の日本列島は、旧石器時代にあたります。現在では、北は北海道から南は沖縄まで、全国各地に多くの旧石器時代の遺跡が確認されております。

日本旧石器学会による『日本列島の旧石器時代遺跡 ―日本旧石器(先土器・岩宿)時代遺跡のデータベース―』に収録されている「旧石器時代と縄文時代草創期の遺跡数」によれば、旧石器時代の遺跡は関東、信越、東海、九州地方に集中していたことが分かります。(こちらについても、先のサイトで私が考察している記事に記載していますが、図だけ転用します)

(凡例:灰色:1~99,水色:100~299,黄緑:300~499,赤:500~)
(参考文献:『日本列島の旧石器時代遺跡 ―日本旧石器(先土器・岩宿)時代遺跡のデータベース―』日本旧石器学会
 データ:日本旧石器学会「データベース『日本列島の旧石器時代遺跡』」)

しかし、旧石器時代から縄文時代草創期に移行するにつれ、遺跡の数は全体的に大きく減少しております。

スピリチュアル文献『オアスペ(OAHSPE)』によると、日本列島はかつて水没したパン大陸の一部であったとされています。当時、日本列島全域に人々が暮らしていたと考えられますが、仮に『オアスペ』に記されたとおり、約24,000年前にパン大陸が水没したのであれば、北海道、東北(特に日本海側)、中国地方、九州などで大規模な災害が発生し、その結果として人々がほとんど住まなくなった可能性があります。

OAHSPEに記載された”イスタに渡ったイヒン人について”

パン大陸の水没後、世界各地に散ったイヒン人たちでしたが、多くは1万〜2万年のうちに姿を消していきました。その中にあって、日本に漂着したイヒン人たちは、他とは異なる特別な状況に置かれていたようです。

『オアスペ(OAHSPE)』によりますと、霊魂を救済できる「実体コーポリアン人」はイヒン人だけであり、他の人種にはその力は備わっていないとされています(『主神の第5の書』第4章19節)。

また、霊魂との交流ができない他の人種がイヒン人と混血しても、その能力を受け継ぐことはできず、主神との霊的なつながりを失ってしまったといいます。
そのため、神が定めた法を守れなくなり、特にセム族とハム族は堕落の道を歩むこととなりました(同書第5章11〜13節)。

しかしそのような中でも、日本に渡った「イスタ」と呼ばれるイヒン人は特別な存在でした。彼らはイフアン人と混血しながらも、叡智と平和をもたらしたと記されています(同書第5章14節)。

たとえば、『オアスペ』の記述を裏付ける可能性のある例として、2021年にユネスコの世界文化遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」が挙げられます。

なかでも青森県にある三内丸山遺跡には、「大型竪穴建物」と呼ばれる巨大な竪穴式住居が存在しており、その復元建物が現地に展示されています。現代の私たちの目から見ても、その内装や外観は非常に迫力があり、圧倒されるような規模と構造を備えています。現在のところ、日本国内において、これほど大規模で壮麗な縄文遺跡群は他に確認されておりません。

イヒン人は、当時としては非常に高度な技術を有していました。それは、彼らが神の声を聞くことができた存在だったからにほかなりません。そして彼らが世界各地に散っていったのは、地上に文明の種を植えるための神々の意志による導きであったと考えられます。

イスタに渡ったイヒン人は日本の何処に上陸したのか?

パン大陸の水没後、イヒン人たちが向かったとされる「イスタ(日本)」において、彼らが最初に上陸した場所の候補として、青森県が挙げられます。

その理由の一つは、前述のとおり、同地に巨大な縄文遺跡群が残されていることです。そしてもう一つの重要な理由として、イヒン人にしか伝えることができない教えが、この地に「伝承」として今なお息づいている点が挙げられます。

この伝承についての詳細は、次回ご説明します。

参考文献, 使用画像

図書著者出版社
OAHSPE ”A New Bible in the Worlds of Jehofih and His angel embassadors.”John B. NewbroughOAHSPE PUBLISHING ASSOCIATION
聖書 新共同訳-旧約聖書 共同訳聖書実行委員会三省堂印刷/日本聖書協会
『日本列島の旧石器時代遺跡 ―日本旧石器(先土器・岩宿)時代遺跡のデータベース』日本旧石器学会日本旧石器学会

画像:stable diffusion(model:DreamShaper)より生成(アイキャッチ画像)

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