【この名言が生まれた背景】
この名言は、OAHSPE第3書『ジェホヴィの書』の冒頭(第1章)より抜粋しています。
こちらでは、宇宙を含むこの世界を創造された「創造主」についてお話しいたします。
これは哲学的な問いでもあり、「この世界は“無(=0)”から始まったのか、それとも“全(=1)”から始まったのか」というテーマに関わる内容です。
現在、私たちが暮らす宇宙は「膨張している」と言われております。
膨張しているということは、何らかの出発点が存在したはずであり、それがいわゆる「ビッグバン」と呼ばれる巨大な爆発だったとされています。

しかしながら、そのビッグバンが起こるためには、何らかの「空間」がすでに存在していなければなりません。
では、その空間はどこから生まれたのでしょうか?
仮に、その空間自体もまた別の「爆発」によって生まれたのだと仮定した場合、その爆発はどのようにして起きたのか、さらにはその爆発を引き起こした空間はどうやって生まれたのか…というように、次々と新たな問いが生まれていきます。
このように遡っていくと、最終的には「無(=0)」から始まったという考えでは説明がつかなくなり、むしろ最初からあらゆるものを内包していた「全(=1)」の状態――つまり、すべてを持った存在から始まったと考えるほうが、道理にかなっているように思われます。
創造主は、その「全(=1)」の世界において、最初に自我に目覚めた存在であると捉えられます。
その世界において創造主は、自らの意思を持ち、あらゆるものを試行錯誤しながら創造していった――このように考えることができるのです。
こうして創造物が創造されています。
OAHSPE-20『神の言葉の書』10章-2
こうして創造物が創造されました。
これからも創造物は創造されます。
『あらゆる光』の光はオーマズドです。彼は『全ての精神体』の精神体です。そこには,創造主オーマズドと『全能の母』ミーが創造した『目に見えるもの』と『目に見えないもの』があります。
そして創造主オーマズドと,全能にして妊娠したことのない『処女母』ミーによって創造されたのが,表現し,全てを語り,全てと交信する『声』であり,これが息子のヴィヴァンホでした。
この引用は、第20書『神の言葉の書』からの抜粋であり、神イフアマズダがザラツゥストラに語った言葉となっております。この中に登場する「オーマズド」は、創造主を指しています。
この一文を読み解いてみますと、創造主(および処女母)が最初に生み出したものは「声」であったと記されています。
すなわち、創造の第一歩として発せられたのは「言葉」だったのです。
そして、創造主がその最初の言葉を発した目的は、「事物の表現」にありました。
言葉によって形のないものに形を与え、存在を定義し、あらゆる事象を表現する――それが創造の始まりであったとされています。
御父,御母,息子の3人が同体であることを意味しています。
OAHSPE-20『神の言葉の書』10章-4
オーマズドは『万物の霊体』です。
ミーは『目に見えるもの』と『目に見えないもの』です。
ヴィヴァンホは『事物の表現』です。
「三位一体」という言葉がありますが、本来の意味としては、すべての精神的存在の源である創造主(父)、この世界そのもの――すなわち可視の世界と不可視の世界を含む「処女母(母)」、そしてそれらを表現する「声(息子)」の三つを指すのが正しい解釈です。
OAHSPEでは、しばしば神々のことを「私の息子」と表現しています。これは、創造主の視点から見ると、この世界のすべてが創造主の「表現」であり、たとえ未完成で不完全な存在であったとしても、それもまた創造主の一部、すなわち「息子」であるということを意味しています。
この考え方こそが、OAHSPEにおける根本的な前提であり、この概念を理解することなしに、この世界の本質を正しく捉えることは難しいと考えます。
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