【名言】正しさは声の大きさではなく、根拠の深さに宿る

🌍エジプトの闇とモーセの信念

古代エジプトには、僭称神オシリスの信仰が深く根づいていました。
その背景には、紀元前3700年ごろに起こったデユス(De’yus)の反乱がありました。
この反乱以降、創造主ジェホヴィを信仰する者たちは迫害され、代わりに僭称神たちの教義が地上に広まりました。

イスラエルの民もその影響を強く受け、エジプトで奴隷のような立場に置かれていました。
しかし紀元前1500年ごろ、大天使リカが地上に降り、ジェホヴィの導きによって救済の計画が始まります。
その一環として、イスラエルの民の中から生まれた赤子がエジプト王家の庇護のもとで育てられました──その子こそ、モーセでした。


👑王宮で育った「異端者」

当時、エジプトではジェホヴィ信仰は敵視されていました。
王宮に身を置くモーセも、イスラエルの民を守ろうとすればするほど、神官や貴族たちの反感を買いました。
やがて、神託までもがモーセを「悪霊に堕ちた者」と断罪するようになります。

それに対し、モーセが放ったのが次の言葉です。

「自分の行ないが善行であることを確信しています。それは神託よりも優れているのです。」


⚖️信じるより、根拠を持つこと

この言葉は単なる「信仰の強さ」ではありません。
モーセの信念は、創造主ジェホヴィの意志を理解し、それに沿って生きるという確固たる根拠に支えられていました。

「神の名を語る声」よりも、「自らの善行の確信」に従ったのです。
彼にとっての信仰とは、盲目的に信じることではなく、創造主の法に照らして自らの行いが正しいと証明できることでした。


🌱私たちの選択にも問われる「根拠」

現代に生きる私たちもまた、日々の中で多くの選択を迫られます。
その中には「正しいと思うけれど不安になる」決断もあります。

そのときに大切なのは、信念を貫く勇気ではなく、
「自分の選択が善である」と確信できる根拠を持つことです。

もしその行いが誰かを助け、真心に基づいているなら、
たとえ世間に誤解されても、それは必ず「光の側」にある。
モーセの生涯はそのことを私たちに教えています。

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