本章では、神話・考古学・霊的史観の三つの視点から、
「トロイア戦争」の背後に潜む神々の真実を明らかにしていきます。
はじめに ― 神々が語る、もう一つのトロイア戦争
古代ギリシャの詩人ホメロスが描いた『イリアス』には、トロイア戦争という壮大な物語が記されています。
そこでは、英雄たちの戦いとともに、神々が人間の運命に深く関わる様子が描かれています。
しかし、このトロイア戦争が実際にあった出来事なのか、それとも詩人の想像による神話なのか──長いあいだ議論が続いてきました。その理由の最たるものとして挙げられるのは、神々が人間の運命に深く関わっているという点です。現世の人間の多くは神や天使といった「不可視の存在」を知覚することはできません。そのため神や天使を信じる人間は少なく、そういった存在が物語の主役を担っているところも、このトロイア戦争が虚構と思われる要因の一つになっています。
しかしながら、19世紀に実業家ハインリッヒ・シュリーマンが発掘を行い、トロイアの遺跡を発見したことで、「トロイア戦争は実在したのではないか」と考えられるようになりました。
一方で、『イリアス』の中では神々が戦争に介入しており、その描写をどのように解釈するかは今なお謎に包まれています。
それは単なる比喩なのか、それとも本当に“神々の戦い”が人間の歴史の背後に存在していたのか──。
本記事では、ホメロスの物語と考古学的知見、そしてスピリチュアルな聖典『OAHSPE(オアスペ)』に記された霊的歴史を照らし合わせながら、
「トロイア戦争の背後にあった神々の介入」というテーマを探っていきます。
神話とは本当に空想なのか。
あるいは、人類が忘れてしまった“もう一つの真実の歴史”なのか。
その答えを、古代の記録と霊的な叡智の双方から考察します。
第1章 ホメロスの『イリアス』とトロイア戦争の実在
古代ギリシャの詩人ホメロスが残した叙事詩『イリアス』は、長らく“文学”として語られてきました。
英雄アキレウスやヘクトル、そして美しいヘレネをめぐる戦争の物語は、単なる伝説として理解されてきました。
しかし、その舞台となったトロイアが本当に存在したのか――。この問いに答えようとしたのが、19世紀の実業家ハインリッヒ・シュリーマンでした。
シュリーマンは少年の頃から「ホメロスの詩の世界が実在する」と信じ続け、その夢を実現させるために人生を賭けました。
商人として財を築いた後、1871年に現在のトルコ・ヒッサリク丘で発掘を開始します。やがて彼は、伝承に語られたトロイアの遺跡を発見したのです。
しかし、その発掘は同時に論争も生みました。
シュリーマンは考古学的手法に乏しく、多くの遺構を破壊してしまいました。後に専門家のヴィルヘルム・デルプフェルトが加わり、ようやく学術的な体系が整えられました。
それでも彼の功績は揺るぎません。ホメロスの詩が“空想ではなかった”ことを、世界に示したからです。
考古学的には、トロイの遺跡は「第1市」から「第9市」まで複数の層を持ち、そのうち第6市(紀元前1750〜1300年)と第7市(紀元前1300〜1050年)が、最も堅固な城壁の痕跡を残しています。ヴィルヘルム・デルプフェルトはこの2つの市の中で第6市こそ、ホメロスが語る「トロイア戦争」の舞台であったと推定しました。1
しかし、ホメロスの『イリアス』をよく読むと、単なる人間同士の戦いではありません。
ゼウス、ヘラ、アテナ、アポロンといった神々が、戦争の行方を左右する存在として登場します。
人間の運命が神々の思惑によって動かされていく――この構図は、後の神話体系にまで受け継がれていきます。
この「神々の介入」は、単なる象徴表現なのでしょうか?
それとも、実際に“霊的存在”が戦争を導いたという記録なのでしょうか。
この疑問こそが、次章で取り上げる『OAHSPE(オアスペ)』の記録と深く結びついていきます。
ホメロスが伝えた「トロイア戦争」は、神話ではなく、神々の歴史をモチーフにした“霊的な戦史”の断片でもあります。
実際の戦争の痕跡をトロイア遺跡の考古学的書籍より検討しつつ、OAHSPEの記述をもとに時代考証を行っていきます。
第2章 OAHSPEが語るトロイア戦争と神々の抗争
ホメロスの『イリアス』に描かれる神々の戦い。
それは単なる神話的表現ではなく、霊的世界の戦史を反映している――。
この視点を与えてくれるのが、19世紀に啓示として書き記された聖典『OAHSPE(オアスペ)』です。
創造主への反乱と「デユス体制」の誕生
紀元前4,000年頃、大天使クペンタ・アミジが地球に降臨し、天界の秩序を再建したと記録されています。2
それは、偽神アフラが創造主ジェホヴィに反旗を翻した「第一の反乱」が終息した直後の出来事でした。
しかし、アフラに仕えていた神アヌハサジが新たな支配者として台頭します。
彼は創造主ジェホヴィを僭称し、自らを「デユス(De’yus)」と名乗りました。
デユスは人類に「唯一の神」として崇拝されることを望み、各地の神々を地上に派遣して支配を拡大していきました。
ここに、人類史上初めて「宗教的支配体制(デユス体制)」が誕生しました。
彼に仕えた神々の中には、後に独立していく者たちがいました。
その一人がエジプトの神オシリスであり、さらにその配下にはバアルとアシュタロスという男神・女神が存在していました。
バアルとアシュタロス――神々の対立がもたらした戦火
デユスが没落したのち、地上に残った神々は次々と独立します。
オシリスはエジプトにおいて支配権を確立しましたが、
彼の部下だったバアルとアシュタロスは、自らの勢力を拡大するために西アジア・小アジア・ヨーロッパへと進出しました。
バアルとアシュタロスは、敵と味方に分かれて各地で自分たちに敵対する勢力(都市国家)を対峙させ、次々と滅ぼしていきました。
この二柱が画策し、引き起こされた戦場の一つが、トロイアだったのです。
『OAHSPE』によれば、バアルはトロイア側を支援し、アシュタロスはアカイア(ギリシャ、OAHSPEではアテナ)側に味方したとされます。
つまり、『イリアス』に描かれた「ゼウスとヘラ」「アテナとアポロン」の対立構図は、
実際にはバアルとアシュタロスという神々の霊的抗争を象徴していた可能性があるのです。
戦争の結果、トロイアは滅び、アカイア連合が勝利を収めます。
しかし『OAHSPE』では、両陣営ともに滅亡したと記されています。3
それは、当初からバアルとアシュタロスは両陣営とも滅ぼすつもりでいたからです。
考古学と霊的記録が示す「戦争の時代」
考古学的に見れば、トロイア遺跡の第2市4(紀元前2550〜2300年)から第6市(紀元前1750〜1300年)の間には、第2市には火災の痕跡があるものの戦火の可能性が低く、一方で第6市は堅固な城塞を持ち、戦争に備えた要塞都市だったといわれます。5
しかしながら、バアルとアシュタロスが暗躍し始めたのは、エジプトを統治した僭称神オシリスとの確執が表面化してからのことでした。時期的には、古代エジプト王朝の中王国時代の頃には既に表面化していたものと考えます。その理由は、中王国時代の第12王朝アメネムハト2世(1911 – 1877B.C.)が西アジアに進出していたという記録があるからです。6
この侵攻には、勢力拡大を続けるバアルとアシュタロスに対して警戒心を強めたオシリスが、ついにバアルとアシュタロスの独立宣言を突き付けられたことが発端になった可能性があります。7
つまり、トロイア戦争はバアルとアシュタロスの勢力拡大が終わる前、つまり、オシリスがバアルとアシュタロスに宣戦布告する前に起きたということになります。
それは、古代エジプトの第12王朝アメネムハト2世の治世以前でなければならず、トロイアの遺跡で言えば、第6市以前となります。これは、かつてヴィルヘルム・デルプフェルトがホメロスの『イリアス』の舞台として推定した第6市ではなく、それ以前、見送られていた第2市もトロイア戦争の舞台の可能性があることを意味しています。
| トロイの市 | 年代 (B.C.) | 特徴 |
|---|---|---|
| 第2市 | 2550–2300 | 火災の跡(非戦災説あり) |
| 第3–5市 | 2300–1750 | 考古学的資料が乏しい |
| 第6市 | 1750–1300 | 強固な城塞を持つ都市国家 |
| 第7市 | 1300–1050 | 第6市と同じ |
第3章 オシリス体制の崩壊とモーセの出現
バアルとアシュタロスによる勢力拡大のために引き起こされたトロイア戦争は、この時代に勃発した数多くの戦争の一つに過ぎません。
この一連の戦争が終結し、バアルとアシュタロスの目的が果たされると、今度はオシリスが君臨したエジプトを巻き込んだ戦争が始まりました。
しかしそれは、神々の戦いの終焉ではありませんでした。
『OAHSPE(オアスペ)』によれば、トロイア滅亡の後、地球を支配していた神々の勢力図は大きく塗り替えられ、
新たな時代――オシリス体制の崩壊と“出エジプト”の幕開け――へと移行していきます。
オシリスの没落、バアルとアシュタロスの潜伏
バアルとアシュタロス、オシリスによる三つ巴の戦争は長くは続きませんでした。
エジプト第12王朝アメネムハト2世が西アジアに進出した後、西アジア系の異民族ヒクソスがエジプトに侵攻し、第2中間期の第15王朝を開闢しました。(紀元前1650年頃)
このことから、第15王朝が創始された頃には、僭称神オシリスはすでに地獄に堕ちた後だったことが分かります。
しかし、この第15王朝もある時期を境に終焉を迎えます。それは紀元前1550年、大天使リカの地球降臨です。
僭称神オシリスを始めとする世界各地の僭称神は次々と地獄に堕ちていく中、バアルとアシュタロスは身を隠し、地獄に堕ちるのを凌いだといいます。8
そのため、古代エジプト王朝は大天使リカの降臨を境に新王朝(第18王朝)が創始されることになりました。
イスラエルの民と創造主ジェホヴィ──奴隷時代の霊的意義
次に舞台をエジプトに移します。
この時代、創造主ジェホヴィを信仰する信徒は「イスラエルの民」と呼ばれていました。
紀元前4000年頃、『旧約聖書』の創世記で描かれるアブラハムはアラビーニャの各地を巡り、信仰者を集め、最終的にエギュプト(エジプト)の地に落ち着きました。当時はエジプトはアラビアの一部として扱われていました。そのため、エジプトには数多くのイスラエルの民(信仰者)がいました。
ところが、紀元前3680年頃、主上神アヌハサジがデユスを名乗り、創造主を僭称すると、事態は急変しました。イスラエルの民はデユスから敵視され、迫害されました。
アブラハムが率いたイスラエルの民がいたエジプトを統治することになった神オシリスは、デユスの敵を殺害するのではなく、奴隷にして労働力として使役しました。殺害しなかったのは国力を削ぐことを嫌ったためであり、奴隷にしたのはイスラエルの民が力を持つことを恐れたからでした。
やがて、エジプトの地に、バアルとアシュタロスによって迫害されたイスラエルの民が難民として訪れ、OAHSPEによれば紀元前1550年の大天使リカ降臨の時には400万人もいたといいます。9
創造主ジェホヴィは、人間の生命の誕生を管理する天使ルーイに命じて、イスラエルの民の指導者を育成することを命じました。ルーイたちは9世代にわたって神の民であるイヒン人と交配を続けて、ついに創造主の眼鏡にかなう男児を生誕させることに成功しました。この男児がモーセでした。
イスラエルの民と“霊的な約束”
旧約聖書の「出エジプト記」には、モーセが籠に入れられた状態で川の辺に捨てられて、たまたまエジプトの王女に拾われ、王宮で育てられたという記述があります。信憑性が低いように感じられる記述ですが、OAHSPEにも同様の記述があります。但し、OAHSPEの方は、モーセを川辺に捨てた理由について、イスラエルの民の指導者として相応の学識を身に付けさせるため、王族に計画的に拾わせたということになっています。
実は、OAHSPEの記述と旧約聖書の記述が合致するのは非常に稀なことでした。なぜなら、旧約聖書の創世記には、大洪水の話はあるものの、ノアの箱舟という物語に改変されており、OAHSPEの記述(パン大陸の水没を含めた物語)とはかけ離れているためです。
またノアの箱舟で辿り着いた先の土地(ジャフェス(ヤフェト)、セム、ハム)は旧約聖書ではノアの子孫として描かれており、かなりの創作が施されています。
しかし、モーセの出生の秘話は驚くべきことにOAHSPEと旧約聖書は内容がほぼ一致しており、一見、創作のように思える内容でもそうではないことが分かります。
これは、神々が絡む物語であるからといっても、単純に切り捨てられないことを意味しています。
OAHSPEによれば、モーセはエジプト王女レオトナスのもとで弟として養育され、成人後はエジプト王の代官として各地の監察を行った後、創造主ジェホヴィの御声に従い、イスラエルの民を奴隷から解放し、約束の地へと導くことになります。
モーセの出エジプトは、大天使リカの降臨と同じく、紀元前1550年頃の出来事であると考えられます。
僭称神たちの時代の終焉と人間の試練
オシリス、バアル、アシュタロス――。
かつて地上を支配した神々は、いずれもその権威を失いました。
そして、上天より創造主ジェホヴィの息子である大天使リカが降臨し、悪行で混乱する地球を回復し、再び地球を光のもとに救済します。
こうして僭称神の時代は終わりを迎え、人間自身が肉体的に、霊的にバランスの取れた時代「コスモン時代」への道が開かれました。
それは、神々の指導から離れ、人類が自らの内に“神性”を見出す時代の始まりでもありました。
第4章 結論──神々の時代から、人間の時代へ
これまで見てきたように、『OAHSPE(オアスペ)』は単なる霊的書物ではなく、
人類史そのものを“神々の視点”から描いた壮大な歴史書です。
トロイア戦争や出エジプトといった出来事は、偶然の歴史ではなく、
天界の秩序と地上の文明が交錯する「霊的進化の節目」だったのです。
神々の時代の終焉
紀元前4000年に始まった“神々の時代”は、
創造主ジェホヴィに背いた神々──デユス、オシリス、バアル、アシュタロス──によって長く混乱しました。
しかし、そのすべての戦争と崩壊の果てに、創造主の意志は再び地上に現れます。
紀元前1550年、大天使リカが地球に降臨し、
地上の支配構造は“神による支配”から“人間による学びと成長”へと転換しました。
この瞬間、人類はようやく自らの意志で霊的進化を歩む準備を整えたのです。
モーセの使命が象徴するもの
モーセの「出エジプト」は、単なる民族解放の物語ではありません。
それは、「人間が神々の束縛を離れ、創造主と直接つながる時代の始まり」を示す象徴でした。
奴隷という立場は、霊的にも“従属”を意味します。
それを解き放つことは、信仰の自由、すなわち魂の独立宣言です。
この出エジプトの物語は、人間が神々の代弁を待つのではなく、
「自らの内に宿る神性を目覚めさせる」という時代への第一歩となりました。
トロイア戦争の意義
古代ギリシャの詩人ホメロスが『イリアス』で描いたトロイア戦争は、ホメロスの空想の物語ではありません。トロイア遺跡の発掘調査が、トロイア戦争の実在を物語っています。
しかし、ホメロスが描いた神々の代理戦争としてのトロイア戦争もまた、完全に誤りでもありません。デユス(男神)とヘラ(女神)がトロイアとアカイア(ギリシャ)連合に分かれて対峙したのは、バアル(男神)とアシュタロス(女神)の戦争遊戯を模していたからです。
OAHSPEによれば、トロイア戦争はバアルとアシュタロスによる勢力拡大のための戦争でした。しかし、この戦争によりイスラエルの民がヨーロッパや西アジアから離れてエジプトに渡って奴隷となり、紀元前1550年の大天使リカ降臨の時代に、イスラエルの民の指導者モーセが現れ、バアルとアスタロスは行方を晦まし、モーセはイスラエルの民を奴隷から解放し、新たな時代の幕開けを刻みます。
これら一連の出来事は、単なる地域戦争ではなく、
神々と人類が新たな霊的秩序を築くための「世界的な転換の流れ」だったのです。
トロイア戦争は後のモーセの出エジプトへと繋がる物語の一つであり、ホメロスの『イリアス』は19世紀にシュリーマンに発掘させるための刺激薬の役割を果たしました。シュリーマンがいたからこそ、トロイア戦争はただの神話ではなく、実在の物語をモチーフにした物語であるという証拠を残してくれたのだと思います。
こうして、僭称神の支配が終わり、モーセによる「出エジプト」が象徴する人間の霊的自立が始まったのでした。
参考文献
| 図書 | 著者 | 出版社 |
|---|---|---|
| OAHSPE ”A New Bible in the Words of Jehovih and His angel embassadors.” | John B. Newbrough | OAHSPE PUBLISHING ASSOCIATION |
| The Archaeology of Greek and Roman Troy | ローズ、チャールズ・ブライアン著 | ケンブリッジ大学出版 |
| 古代への情熱 | H・シュリーマン著 池内 紀訳 | 角川ソフィア文庫 |
| ホメロス イリアス | 松平 千秋 訳 | 岩波文庫(株式会社 岩波書店) |
| ホメロス オデュッセイア | 松平 千秋 訳 | 岩波文庫(株式会社 岩波書店) |
| 古代エジプト全史 | 河合 望 著 | 株式会社雄山閣 |
使用画像
画像:stable diffusion(model:dreamshaper_8)より生成
執筆におけるAIサポートについて
本書の執筆・編集過程では、生成AI(ChatGPT/GPT-5)の言語構成支援を活用しています。
ただし、考察・解釈・思想部分はすべて筆者自身の思索と研究成果に基づくものであり、
AIは編集補助のツールとしてのみ用いられています。
脚注
- H・シュリーマン「古代への情熱」訳者コラム「発掘のこと」に、シュリーマンの死後、後を受け継いだデルプフェルトは第6市(1500 – 1000B.C.)がホメロスのトロイアと推定する旨が記載されている。 ↩︎
- OAHSPE第22書「クペンタ・アミジの書」第12章 ↩︎
- OAHSPE第24書「対ジェホヴィ戦争の書」第52章-26 ↩︎
- トロイの「市」は、最下層から1層目(=1市)と数えていき、第2市は最下層から数えて第2層目を指す。 ↩︎
- ローズ、チャールズ・ブライアン著「(The Archaeology of Greek and Roman Troy)ギリシャローマ時代のトロイ考古学」の「青銅器時代のトロイ」に、「トロイ第3市では文化的崩壊の兆候がない」という記述、およびトロイ第2市の末期に別の火災が発生し、そこに敵の攻撃やかなりの死者といった兆候がなく、火災が始まる前には人口が逃げたように見える」という記述より。 ↩︎
- 河合望著「古代エジプト全史」第10章中王国時代「アメンエムハト2世とセンウセレト2世」より ↩︎
- OAHSPE第24書「対ジェホヴィ戦争の書」第54章-1 ↩︎
- OAHSPE第24書「対ジェホヴィ戦争の書」第54章-22 ↩︎
- OAHSPE第26書「ボン弧の書」第14章-18 ↩︎

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