【名言】形を失った信仰は、やがて闇に飲まれる

善行と悪行を分けるものは何か―オーマズドとサタンの声

カピーリャの使命と礼拝の意義

紀元前1,500年頃、インドのハフガニスタンの王子として生まれたカピーリャには、創造主から大きな使命が託されていました。それは、対ジェホヴィ戦争によって散り散りになった信仰者を再び結集し、信仰を回復させることでした。

当時、デユスをはじめとする反逆者たちは信仰者を虐げ、知識を与えず、信仰心を奪おうとしていました。その中で生き延びた信仰者たちは、細々と信仰を守りながら暮らしていたのです。

祭壇を築くという行為

カピーリャが彼らの前に現れた時、まず命じたのは「祭壇を築き、供物を捧げよ」というものでした。その供物とは、信仰者たちにとって大切にしてきた持ち物でした。

若き日のカピーリャに対し、信仰者たち、とくに長老たちは「なぜ貴重なものを捧げなければならないのか?」と疑問を抱きました。その問いに対して示された答えが、「外面的な礼拝の表現を持たない魂は、地獄の淵に立っている」という教えだったのです。

信仰心は「形」で支えられる

人間は流されやすい存在です。信仰もまた、抽象的で形のないものであるため、外面的な「形」を持たなければ心に留めておくことは難しいのです。

礼拝という形を通して、自分の信仰を「行動」として示すこと。それは心を律し、善行を選び取る力となります。信仰心が篤ければ善良な行いが増え、乏しければ恣意的な振る舞いが増え、それが悪行へと転じてしまうのです。

形式が心を守る

意志の強い者ならば、形式がなくても揺らがないかもしれません。しかし、多くの人にとって「外面的な礼拝の形式」は、信仰心を保ち、善き方向へと導く大切な支えとなります。だからこそ、カピーリャは「祭壇を築け」と命じたのでしょう。

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