【名言】人間がどれだけ正義を唱えても、神は戦争を望まない

【この名言が生まれた背景】

この名言は、OAHSPE第2書『人の声』から抜粋しています。

OAHSPE第2書『人の声』では、冒頭において「この世界はすべて創造主によって創造されたものである」と語られています。

これは、いわゆる宗教的な立場からの主張というよりも、論理的に考えて「最初からそこに存在していた何か」がなければ、現在の世界を説明することができないという立場に基づいています。すなわち、「存在そのもの」が前提としてあり、その中に自我を持った最初の存在、すなわち創造主が現れ、そこからあらゆるものを創造していったというのが、『OAHSPE』における世界の真実とされています。

たとえば、現代の科学において「宇宙は膨張している」と言われています。この考え方には「宇宙には始まりがあった」という前提があり、それを「ビッグバン」と呼びます。しかしながら、このビッグバンを引き起こしたのが「無=ゼロ」からであるとは考えにくく、ビッグバンが起こり得た「何らかの世界」が先に存在していたということになります。

では、その世界は誰が創造したのでしょうか。仮に、その世界を包む「器」のような存在があったとすれば、その器を創ったのは誰なのか……と、この問いを突き詰めていくと、最終的には「最初から存在していたもの」に行き着かざるを得ません

つまり、「世界とは最初から存在していたものである」という前提に立つことが、すべての出発点となります。「無=ゼロ」からは、何も生まれないのです。
そして、その「最初から存在していた世界」において、自我を持つ存在が誕生しました。その存在こそが「創造主」と呼ばれるお方です。
創造主は、何もない世界の中で、試行錯誤を重ねながら様々なものを創り出していきました。この過程については、『OAHSPE』第20書「神の言葉の書」に記されており、人類にとって最初の聖典についても同書で紹介されています。
その中では、「創造主がまず善なるものを創造されたが、物事が停滞してしまったため、あえて悪を創造された」というくだりも見受けられます。

悪がなければ,誰も善にはなれないでしょう。
オーマズドは全ての創造物を『善』として創造しました。しかしそれでどうなったかと言えば,『何も起きなかったnothing to do』のです。まるで死んでいるかのように何も動かず,何もないかのようにそこにあったのです。

OAHSPE-20『神の言葉の書』9章-19

「悪があるからこそ、善が際立つ」という考え方は、まさにその通りだと言えるでしょう。悪とは、この世界を前進させるための“触媒”のような役割を担っているのです。

とはいえ、「悪」がこの世界の主役になることは決してありません。それは、創造主が最初に「善」を創造されたことからも明らかです。つまり、創造主が望まれているのは「善」による秩序であり、「悪」が支配する世界ではないのです。
そして、「戦争」は明確に「悪」と位置づけられます。なぜなら、この世界で生きるすべての人間は、創造主の世界の住人であり、創造主の子どもたちでもあるからです。親が、自らの子ども同士が殺し合うことを望むはずがありません。

にもかかわらず、人間はなぜか戦争をしたがります。そのような人間の傾向に対して、神は「戦争が永遠になくなれば、真の平和が訪れるのです」と告げられたのです。

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