善と悪は創造の触媒だった
創造主がこの世界を創られたとき、最初に善を、次に悪を創造されました。創造主の目には、善も悪もただの「状態」に過ぎず、悪はこの世界を前進させるための触媒として存在しています。
悪の存在があることで、人間の叡智は鍛えられます。たとえば戦争という悲劇的な現象を通して、科学技術が進化し、それが結果として人々の生活水準を押し上げてきた事実もあるでしょう。
しかし、触媒であるはずの悪が強まりすぎると、世界は争いに満ちた時代へと突入します。そして、善が悪を抑えきれなくなったとき、争いに終止符を打つことが難しくなってしまいます。
混沌の時代に入る世界と愚かさ
現代の世界は、平和の時代から再び混沌の時代へと向かっているように見えます。多くの人は戦争など望んでいないはずですが、それでも世界は着実に戦争に近づいています。これを愚かと言わずに、何と言うべきでしょうか。
記憶の風化と戦争の再来
日本は先の大戦で甚大な被害を受けました。その惨状は、当時を記した書物を読めば分かりますし、同時代を生きた人々には説明の必要もないことでしょう。
けれども、世代が進むにつれて、その痛みを実感として知る人が少なくなり、戦争を安易に語る者が増えてきているように思えます。
転生と国家──本当に守るべきものとは
「国家の威信を賭けて戦う」と言っても、死後に転生したとき、また同じ国に生まれるとは限りません。場合によっては、かつての敵国に生まれる可能性もあるのです。
いったい何のために戦っているのか。戦う前に、それを考えるべきではないでしょうか。
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