【神話学(12)】神々の反乱と日本列島:ホジャブ・出雲・東北の交錯

日本神話とイヒン人の霊的遺産:ホジャブ神と出雲王朝の系譜

デユスの反乱とホジャブ神の動き

紀元前3850年ごろ、神デユスが創造主ジェホヴィに反旗を翻しました。この時、日本の神ホジャブも彼に同調しました。 しかし紀元前2890年ごろになると、エジプトの神オシリス、インドのスドガ、中国のティインが今度はデユスに反旗を翻し、それぞれの地域で創造主を僭称するようになります。日本のホジャブもこの動きに同調し、創造主を僭称しました。

創造主を名乗っても、人間に信仰されなければ意味がありません。そこでホジャブ神は、伊邪那岐神・伊邪那美神の夫婦による「国生み神話」を創作しました。ですが、本当に信仰させたかったのは伊邪那岐神でした。なぜなら、伊邪那美神は黄泉国に旅立ち、伊邪那岐神と対立して別れてしまったからです。

出雲の地では、伊邪那岐神の息子たち──天照大神、月読命、須佐之男命──が活躍し、特に須佐之男命が中心的存在となりました。ホジャブ神の目的は、伊邪那岐神(=ホジャブ自身)を創造主として人々に信仰させることにありました。

出雲王朝とその終焉

伊邪那岐神の子孫を王とする国家を作り、日本国民に神話として信じ込ませることで、ホジャブの目的は達成されました。須佐之男命が最初の王として描かれましたが、やがてその王朝は滅び、大国主命の王朝が成立しました。

その結果、神話も改訂され、須佐之男命から大国主命への禅譲が物語に加えられました。

神ホジャブの堕落と天照大神の登場

デユスに反旗を翻した神々は、デユスを信奉する者たちによって地獄に堕とされていきました。ホジャブも例外ではなく、地獄へと堕とされました。そして出雲王朝も衰退していきます。

紀元前1500年、大天使リカの降臨により「ボンの周期」が始まります。しかしダンの夜明けと呼ばれるこの降臨で地球から一時的に闇が払われましたが、その後、地球は再び闇に覆われ、戦乱の時代を迎えます。
日本では筑紫の高千穂を拠点とする勢力(天照大神)が出雲に対して「国譲り」を迫り、大国主命は抗しきれずにこれを受け入れました。

こうして、天照大神が崇められる体制が成立し、この信仰は第二次世界大戦終結まで続くことになります。

倭国の成立と神武天皇の東征

天照大神を祀る国家は奈良を都とする「倭国」となり、神武天皇によって建国されます。東征の際に兄・五瀬命を失うものの、大和の地を制圧し初代天皇として即位しました。

崇神天皇の時代に地方統一が進み、孫の景行天皇、曾孫の倭建命が各地の征討を行いました。倭建命の息子・仲哀天皇が即位し、熊襲討伐を計画中に死去。皇后・神功皇后が新羅へ出兵し、後に生まれた応神天皇も朝鮮半島に進出しました。

応神天皇と朝鮮半島への影響

応神天皇の時代、朝鮮半島は高句麗が台頭していましたが、倭国が新羅や百済に影響力を持つこととなります。

神功皇后・応神天皇は宇佐神宮に祀られ、現在も八幡信仰の中心として続いています。

東北地方の独立と真の神の玉座

一方で東北地方は、前九年・後三年の役まで朝廷に服さず独立を保っていました。江戸時代に編纂された『東日流外三郡誌』によれば、原住民たちは荒吐族として統合され、平安時代まで自立していたとされます。

この背景には、イヒン人の霊的影響があると考えられます。イヒン人は高い知識と技術を持ち、彼らの地には文明が栄えます。出雲を拠点としたホジャブに対抗した本来の正当な神が、東北地方に玉座を据えた可能性が考えられます。

2021年に世界遺産となった「北海道・北東北の縄文遺跡群」は、高度な文化の証左です。出雲や中央政権が勢力を広げるなか、東北は独自の文化と信仰を守り続けていました。

創造主に背いた勢力に対抗するため、イスタに逃れたイヒン人と現地のイフアン人が混血し、やむを得ず戦うこととなった結果が、天界の戦いが地上に投影された姿だと言えるのです。

参考文献, 使用画像

図書著者出版社
OAHSPE ”A New Bible in the Worlds of Jehofih and His angel embassadors.”John B. NewbroughOAHSPE PUBLISHING ASSOCIATION
新版 古事記 現代語訳付き中村啓信訳注角川学芸出版
東日流外三郡誌 1古代篇(上) 東日流中山史跡保存会八幡書店

画像:stable diffusion(model:epicRealism)より生成

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