【名言】代案なき反論は、ただの騒音でしかない

【この名言が生まれた背景】

上位の法を知らぬ者に、真の裁きはできない──神々の定めた法と議論の本質

「人間は、何を拠り所として人を裁くべきか?」

この命題に対して、神々(神族会議(Diva))は議論を重ね、最終的に神族長(div)はこう結論づけました。

それは、「神々が定めたディヴァン法が上位法であり、人間が定めた法はその下位にある」ということ。神々を認識できない者は、上位法を理解することもできないため、下位法に基づいて裁くしかない。──これが基本的な立場です。

しかし、神々を認識できる者であれば、上位法に基づいて裁くことも可能です。

ただし、人間である以上、上位法の解釈を誤り、正義を歪めてしまうこともある。こうした「法の誤用」こそが、地上や天界を衰退させる一因だと、本文では指摘されています。

また、議論において「言い負かすこと」を目的とする人がいますが、ここで注意すべき点があります。それは、「その人は何を論破したのか?」ということです。

言葉というのは、あくまで穀物を包む殻のようなもの。本質という果実に触れず、殻だけを打ち破ったところで、何も本質を論じてはいません。

ただ論破して勝ち誇るような人は、建設的な議論ができない人です。そうした相手との議論は避けるべきです。

もし建設的な議論をしたいのなら、反論のあとには必ず「代案」を提示すべきです。

神族会議では、議論が平行線をたどった場合でも、最終的には神族長が結論を下しました。その決定には異議は認められませんでした。

これは、「代案を出す者が複数いる」場合、話し合いがまとまらなくなるため、最終判断を下す者が必要だという知恵です。

このように、神々の議論からは、法と正義、そして対話の本質について、多くの学びを得ることができるのです。

コメント