【この名言が生まれた背景】
『OAHSPE』では、神々が創造主を讃える際に「愛と叡智と力により」という言葉がよく使われます。
この3つ――愛、叡智、そして力――が重要であることは直感的に理解できますが、なぜ創造主を讃える場面で、この3つが選ばれているのでしょうか。
それは、おそらくこの三要素こそが、魂の成長に不可欠だからだと思います。
まず、愛があっても、そこに叡智が伴わなければ、成長は限定的です。
逆に叡智だけあっても、愛が欠けていれば、人間として、つまり良心のある存在としての成長は望めません。
知恵だけが成長し続けると、ずる賢くなり、他者をだまして蹴落とすようになります。そうなると、悪意を内包した存在となり、やがて霊魂が闇に堕ち、「ドルジ化」してしまう。これがいわゆる「悪人」の成り立ちです。
現世(=実体界)で得た資産や権力は、死後の世界には持っていけません。
しかし、そうした資産や権力を、自らの内面――精神や魂――を磨くために用いることができれば、その精神的成長は死後の世界にも継承されます。
つまり、もし現世の富や権力が死後に持ち越せないのであれば、それを人々の幸福のために使い、自分の内面を磨く手段とするほうが、遥かに意味があるのではないでしょうか。

では、具体的に何から始めればよいのでしょうか。
その第一歩が「愛と叡智を磨くこと」なのだと思います。
そして、その愛と叡智が育まれたとき、自然と「力(強さ)」が与えられます。
この順序で得られた力こそ、人間の魂を真に成長させる源となるのです。
個人的に好きな逸話があります。
13〜14世紀に生きた聖エリザベト皇后(イサベル)の物語です。
彼女は、神聖ローマ帝国の皇帝フリードリヒ2世の曾孫にあたり、アラゴン王ペドロ3世の妃として、シチリア王国の王妃となりました。
フリードリヒ2世の強硬な政治姿勢により、彼の死後、多くの子孫は命を失いましたが、イサベルの母コンスタンサは夫の力を借りて祖父の遺領を回復しました。
イサベルは幼少期から信仰心の篤いカトリック信者であり、王妃となってからも貧しい人々や病人に尽くすことをやめませんでした。
普通であれば、権力を手にすれば傲慢になっても不思議ではありませんが、彼女は生涯を通して謙虚さと敬虔さを失うことはありませんでした。
この逸話は、「愛と叡智と力」によって魂を成長させた人物の好例として、今でも心に残っています。
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