【この名言が生まれた背景】
創造主が目覚められた原初の世界は、ほんの少し考えてみれば分かるように、決して消滅することのない世界でした。つまり、そこで生きるということは、死のない世界、すなわち無限の時間を生きることを意味しています。
無限の時間が続く世界では、もしそれが歓喜に満ちた世界であれば、誰もが幸せを感じ続けられますが、逆に苦痛に満ちていれば、それはまさに永遠に続く地獄となります。
OAHSPEでは、死なない天使たちの戦いについて語られています。想像してみてください。勝者であっても敗者を「殺す」ことはできません。その代わりに、敗者を無間地獄へと落とし、永遠に苦しませる――それが勝利の証とされていることもあるのです。
目に見えない霊界(es worlds)では、死が存在しないために、独特の生き方があります。だからこそ、目に見える実体界(corpor worlds)では「死」が設けられたのだと考えられます。
この現世(実体界)は、時間に限りがあるからこそ、美しく、大切に思えるのかもしれません。限りがあるからこそ、そこに「愛おしさ」が生まれ、「愛」が育まれるのです。
そして、「何を大切に思うか」によって、愛の形は変わります。それが所有物であれば執着になり、他者であれば思いやりとなるでしょう。創造主が望まれる「愛」の形とは、おそらく他者を思いやる愛のことだと思います。なぜなら、そのような愛があればこそ、無限の時間の中でも喜びを抱きながら生きていけるからです。

この実体界は仮初の世界です。なぜなら、時間が有限だからです。やがて誰もがここでの生を終え、霊体が暮らす精霊界(etherea worlds)へと戻っていきます。どれほど富を得たとしても、それを死後に持ち越すことはできません。
実体界を発展させることに意義があるとすれば、それは、自分の死後に生まれてくる子どもたちがよりよく生きられるためです。しかし、それよりも大切なのは、この世界で自分自身を成長させることなのだと思います。
すべての人が、いずれ死を迎えます。それは生命の終わりではなく、この仮初の世界から、本来の世界へと戻ることを意味しているのです。そしてその本来の世界で実りある人生を歩むためにも、この現世で少しでも心豊かに生きることが大切なのかもしれません。
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