【名言】信仰が向かう先を誤れば、それは暴君を育てる

信仰が暴君を育てた──オシレの時代

紀元前7,100年ごろ、大天使フラガパッティが地球救済のために降臨しました。
その際、先行して地球に派遣されていた神オーテヴァットから受けた報告が、今回引用した一節です。

それによれば、フラガパッティの前に地球を導いた大天使オシレは、人間たちがあまりにも物質的・即物的な価値観に偏っていたため、信仰の心を育てようと尽力しました。
しかし、その結果、人間に根付いた信仰は、やがて「無慈悲な暴君」として成長してしまったのです。


なぜ信仰が暴君を生み出したのか

信仰そのものは悪ではありません。
問題は「信仰の対象」がどこに向けられたのか、という点にあります。

オシレが蒔いた信仰の種は、創造主ジェホヴィにではなく、別の神々や人間的権力者へと向かっていきました。
信仰心が「絶対的な真理」ではなく「人の権威」に向かうとき、そこに歪みが生まれます。


「教祖化」する神々と人間の構造

人間は、自分の思想や力を信仰の対象にさせることで、他者を従わせる誘惑に駆られます。
神を名乗る存在や、神に憑依された人間も例外ではありません。
自分を崇拝させ、その数が増えるほどに「影響力」という力が生まれます。

影響力が肥大化すると、やがてその集団の中に「同調圧力」が生まれ、異なる意見を持つ者は排除されていきます。
その状態が続くと、信仰はやがて「支配」へと変質します。
この支配構造こそが、神が警告した「無慈悲な暴君」の正体です。


真の信仰は、創造主への帰依にある

創造主ジェホヴィは、あらゆる神々や人間を超越した「真理そのもの」です。
人間が真に導かれるためには、権威や人物ではなく、創造主の理念――すなわち「愛・叡智・自由」の三原則に帰依しなければなりません。

もしもあなたが信じる対象が、あなたの自由や愛を奪っているなら、その信仰はもはや「光」ではなく「鎖」です。
真の信仰は、魂を縛るものではなく、解き放つものなのです。

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