【名言】偉大な記念碑は、神々の栄光ではなく、傲慢の証である

傲慢な神々が残した「愚かな証」

偽神アフラに従ったアヌハサジが「絶対神デユス」を名乗った時代。スペタ弧の女神クペンタ・アミジは、こう語りました。

当時の神々は自らの栄光を誇示するため、人間を使役し、寺院やピラミッドを建設させました。それらは「神の力の証」として今も残っていますが、実際には神々の傲慢さと堕落を示す証拠に他なりません。


ピラミッドと廃墟の意味

現在も各地に残るピラミッドや神殿跡、マヤ文明の遺跡などは、クペンタ・アミジによれば「愚かな神々の記念碑」として残されたものです。

彼女は言います。
「何千年も、厚顔無恥な神や救世主の証として残るでしょう」

それは信仰の象徴ではなく、むしろ弾圧と犠牲の記録。私たちはそれを「神の偉業」として崇めるのではなく、「偽りの神々の堕落の痕跡」として理解する必要があります。


神話に刻まれた偽神の影

ゼウスやオシリスの物語、ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』に描かれる神々の駆け引き──。それらもまた、創造主の名を騙った神々の姿を伝えるものです。

こうした物語は、単なる英雄譚ではなく、「偽神が人間を戦わせた記録」として読むべきなのだとクペンタ・アミジは説いています。


コスモンの時代と霊的成長

「コスモンの時代」とは、物質世界(コーポリアル界)と霊的世界(エーテリア界)が融合する新たな時代を意味します。

しかし、その到来には条件があります。人間が霊的に十分成長し、物質に執着せず、魂の成長を意識して生きることです。

つまり、現代を生きる私たちは、古代の遺跡をただ「観光資源」として見るのではなく、そこに刻まれた教訓を読み取り、霊的成長への糧としなければならないのです。

コメント