善意の忠告を拒むとき、人は何に縛られているのか
忠告を受け入れられないとき──『神の束縛』とは何か
『OAHSPE』には、「神の束縛」という印象的な言葉が出てきます。
引用部分では、こう語られています。
「ジェホヴィが私を私自身の悪で身動き取れなくさせたとき、あなたは忠告してくれたが、私は従わなかった。
繰り返し言いますが、私は誰の忠告にも従えなかった。そして、あなたも身動きが取れなくなれば同じように従えなくなる。
それが神の束縛だからです。」
「自分の悪」で縛られてしまう状態
本来、善意からの忠告であれば、受け入れた方がよいと頭では理解できます。
しかし、現実には素直に従えないことがあります。
理由のひとつが、「自分の悪によって動けなくなっている」状態です。
たとえば、嘘をつき続けてきた人がいるとします。
良心から「嘘はやめたほうがいい」と忠告されても、やめられない場合があります。
なぜなら、嘘をやめると、それに隠れていた別の悪事まで露呈してしまうからです。
つまり、悪は単独では存在せず、他の悪を引き寄せて絡みつき、人をがんじがらめにしてしまうのです。
忠告を拒む自分を見つめる
もし、自分の悪が小さければ、良心からの忠告に従うことは難しくありません。
逆に、どうしても従えない場合は、「なぜ自分は耳を閉ざしてしまうのか」を考えるべきです。
その忠告が必ずしも善意とは限りませんが、もし善意からのものであれば、自分の内なる悪がその声を遮っている可能性があります。
「神の束縛」からの解放
『OAHSPE』が説く「神の束縛」とは、神であっても逃れられない責務と制約です。
神は王国の頂点に立ちながらも、民の中では最も卑しき僕(しもべ)であるべき存在であり、
常にジェホヴィ以外を偶像化しないよう説き続けなければなりません。
そして、民に対しては、神が特別な力や財を持たないことを示し、
彼らが神の奴隷ではなく「偉大なる霊魂」だけを信仰する、独立した存在になるよう導くのです。
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