【名言】自省なき繁栄は、神をも堕落させる

光の中に見落とした「闇」──神々の後悔

繁栄がもたらす落とし穴──創造主の視点に立てるか

『OAHSPE(オアスペ)』に登場する神々の中には、地上や天界の繁栄を経験したのち、自己中心的な思考に陥り、ついには創造主ジェホヴィへの信仰を失ってしまった者たちがいました。

神々は、かつて自分たちが祈り求めていた天界の「光の継続」を思い出し、後悔の念とともにこう語ります。

「ジェホヴィよ、なぜ私はこう言わなかったのでしょう。
『あなたの御心のままに闇が訪れますように』と──。」

この言葉は、繁栄の裏にある“闇”を理解しないまま、永遠の光を願ったことへの反省です。季節に夏と冬があるように、世界には光と闇、昼と夜が存在するという摂理。その流れを無視した祈りは、結果として神々自身を堕落させる原因となってしまいました。


「繁栄=善」ではない

この背景には、紀元前4世紀頃、創造主ジェホヴィからの脱却を企てた神デユスによる「対ジェホヴィ戦争」があります。
その原因のひとつが、「地上での繁栄が人間を自己中心的にしてしまったこと」でした。

それ以前の時代、偽神アフラによる反乱が起き、多くの戦乱が地球を襲いました。地球の神々は、アフラの王国を崩壊に導くため、前線拠点を築き、そこから霊的戦線を押し進めました。

その拠点の活躍によって天界は平和を手にし、地上も大いに繁栄しました。
しかしその一方で、神々は前線の苦労を忘れ、自分たちの平和だけを享受するようになってしまったのです。


創造主の視点を忘れた神々

この平和の中で、やがて神アヌハサジが前線の拠点を掌握し、神々の不満を煽る形で創造主への反乱が勃発します。
人間の立場から見れば、創造主の判断に疑問を抱きたくなることもあるでしょう。
しかし、創造主は全体を見渡し、世界の秩序を司っています。

目に見える現象だけで判断してしまえば、創造主の意志を否定し、やがては霊的堕落を招く危険があるということです。


自省なくして成長なし

繁栄は喜ばしいものですが、それが慢心を招けば、やがて崩壊へとつながります。
だからこそ、私たちは豊かさの中にいる時こそ、自分自身を省みる姿勢が必要なのだと思います。

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