「悪」の本質とは何か?――破壊が導く創造
創造主が最初に創った世界とは?
創造主が世界を創造した当初、それは完全なる善の世界でした。
そこには愛があふれ、平和が満ち、協調性があり、秩序と規律がしっかりと保たれていたのです。
「規律」とは、ある意味で人を縛るルールのようなものです。
言い換えれば、「秩序」という**見えない枷(かせ)**が、世界に装着されていたような状態でした。
秩序が守られていれば、争いは起きません。
また、誰もが協調し合える社会であれば、やはり争いは起こりようがありません。
創造主が創ったこの最初の世界、そして後に『涅槃(ニルヴァーナ / nirvana)』と呼ばれる世界は、まさに夢のような楽園だったのです。
「善の世界」が抱えていた矛盾
しかし、この善なる世界にはある重大な問題がありました。
それは――何も発展しなかったということです。
この点について、『OAHSPE』では次のように述べられています。
オーマズドは全ての創造物を『善』として創造しました。しかしそれでどうなったかと言えば,『何も起きなかった』のです。まるで死んでいるかのように何も動かず,何もないかのようにそこにあったのです
『OAHSPE』第20書『神の言葉の書』第9章 第19節
夢のような善の世界であったからこそ、**秩序や協調といった枷(かせ)**が逆に作用し、世界が停滞してしまったのです。
世界に「変化」をもたらす者、それが「悪」
このような状況を打破し、世界を発展させるには、秩序という枷を壊す存在が必要でした。
それこそが「悪(あく)」です。
つまり、悪とは、世界に張り巡らされた秩序や協調といった枷を打ち破る存在。
そしてその存在こそが、**発展や変化を促す「触媒」**でもあったのです。
悪とは何か?
では、悪とは一体何か?
それは、端的に言えば、**「秩序や協調を壊す存在」**です。
善が秩序を保ち、安定をもたらすものであったならば、
悪はその秩序を破り、世界に刺激と進化の契機をもたらす役割を担っていたとも言えるでしょう。
秩序と協調を打ち破る「自由」の代償─ 枷が外れた世界の実態
悪は進化の触媒にすぎない
悪という存在は、秩序や協調という「枷(かせ)」に縛られた世界を打ち破り、世界を発展させるための触媒のような役割を果たします。しかし、それはあくまでも手段であって目的ではなく、決して主役にはなり得ません。
ところが、悪が一時的に「英雄」として扱われることがあります。それは、「枷」を打ち破った存在に対する憧れから生まれるもので、やがて英雄崇拝や偶像崇拝といった文化を生み出します。
「枷」を外す者に人は憧れる
長いあいだ秩序や協調の中で生きてきた人々にとって、その制約から自由になった者は、魅力的に映ります。「自分も自由に生きてみたい」「他人に縛られず、我がままに生きてみたい」と思うようになるのは自然な流れです。
そのようにして、「枷が外れた世界」へと人々は向かっていきます。
「枷」が外れた世界とは
「枷」が外れた世界とは、言い換えれば、秩序も協調もなくなった世界のことです。そこでは、誰もが自分の欲望のままに行動することができます。
ただし、それが成立するのは、一部の人だけが「枷」を外しているうちだけです。すべての人が「枷」を外したとき、そこに残るのは自由の衝突=争いです。
自由の衝突がもたらすもの
秩序や協調を尊ぶ人々の間には争いは起きにくいものです。しかし、**自由を優先し、我欲をむき出しにする者同士の間では争いが避けられません。**この争いが国レベルにまで拡大すれば、戦争が起こるのです。
国家自体は意志を持ちません。戦争を起こすのは、あくまでもその国の為政者です。そして戦時下になると、その為政者は今度は国民に「戦時法」という新たな枷を嵌めてきます。
自分の自由を主張し、他人の自由を縛る者
自分は自由を謳歌しながら、他人には「枷」を嵌めて制限を加える。こうした矛盾した支配が、極限の悪が支配する世界です。それは決して称賛されるべきものではなく、むしろ忌むべき世界の末路なのです。
悪が蔓延る理由と「7つのテトラクト」
悪は必要だが、支配させてはならない
悪という存在は、世界の発展にとってある種の必要性を持ちます。しかし、それが世界を支配することは望まれていません。ではなぜ、今のこの地上に悪が蔓延っているのでしょうか。創造主ジェホヴィは、その理由を以下のように述べています。
「すべての悪は、人間の『定めある命(mortal)』という状態から生まれたテトラクト(tetracts)によってもたらされます。」
OAHSPE 第17巻『オシリスの書』11章-14
テトラクトとは何か? ― 七つの悪の原型
『OAHSPE』では、悪の起源を「テトラクト」と呼ばれる複数の霊的な性質に分類しています。代表的な七つのテトラクトが以下です。
「7つのテトラクトを思い出しなさい。
ディバー(Dibbah):誘惑する悪
OAHSPE 第10巻『主神の第1の書』1章-68
ラー(Ra):肉体の悪
ジンマ(Zimmah):冗談の悪
ベリアル(Belyyaal):無価値
アベン(Aven):虚栄心
アヌス(Anash):破壊の喜び
サタン(Sa’tan):死の隊長である指導者への願望」
それぞれの性質について詳しく見ていきましょう。
1. ディバー:誘惑する悪(Dibbah)
これは「魅了すること」や「媚びへつらって従わせること」です。他人の心を操作し、自由意志を奪うことが「悪」とされています。
2. ラー:肉体の悪(Ra)
「肉体の命に執着すること」が悪とされます。形あるものは必ず滅びるため、霊魂は執着を捨てて昇天すべきと説かれています。肉体への執着が強すぎると、死後も地上に執着する霊魂となり、人に憑依する危険性が生まれます。
3. ジンマ:冗談の悪(Zimmah)
何気ない嘘や、軽々しく語られる虚偽の言葉もまた悪であるとされます。
4. ベリアル:無価値(Belyyaal)
社会において何の貢献もしない存在。たとえば、職場で何も働かずに報酬だけ得ているような人間は「無価値」とされます。
5. アベン:虚栄心(Aven)
見栄を張って、実力以上の評価を得ようとする心。これは本人の成長も妨げ、周囲の信頼も損なうため、「悪」とされます。
6. アヌス:破壊の喜び(Anash)
単なる破壊行為に快感を覚える状態です。創造を伴わない破壊は、再建も再生もなく、ただの荒廃を残すだけです。
7. サタン:死をもたらす指導者への欲望(Sa’tan)
人々を死へ導く「指導者になりたい」という欲望そのものを「悪」と定義します。
現代日本においては、たとえば「憲法第九条の廃止」などを訴え、戦争の可能性を開こうとする勢力がこれに該当すると考えられます。
戦争を「是」とする思考への疑義
第二次世界大戦で日本が敗戦した後、日本国憲法が制定されました。そこには「二度と戦争を起こさない」という明確な意志が込められていたはずです。しかし、100年も経たないうちに、その精神を踏みにじろうとする勢力が出てきていることは、決して見過ごせるものではありません。
たとえ世界情勢が不安定であっても、日本は「霊的な人格者」を輩出する国となるべきです。軍備を整えることよりも、世界から「精神的模範」として見られる国づくりの方が、死後の世界も含めた真の安全保障につながると信じます。
最後に:今こそOAHSPEの教えを
現世で生きる私たちは、やがて肉体を失い霊魂となります。そのとき、かつて所属していた国家への執着よりも、「どのように生き、何を為したか」が問われます。
まずは、創造主が与えてくださった『OAHSPE』という聖書を正しく読み解き、特に次の点を理解していく必要があると考えます。
- 肉体と霊魂の関係
- 天界と地上の役割
- 死後の世界の実態
- 何を目指して生きるべきか
この理解こそが、私たちが「悪」に飲み込まれず、真に霊的に成長するために必要な第一歩だと考えます。
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