【名言】真理を知らなければ、自由もまた幻想にすぎない。

『OAHSPE』とケイシーに見る霊界の真実

人間は、他の動物とは異なり、生まれたときには「生き抜くための本能」を持ち合わせていません。そのため、人は誕生後から物心がつくまでの間に、母親や家族、あるいは身近な人々を通じて、この世界のルールを無意識に感じ取り、自然と吸収していきます。

やがて言葉を話すようになりますが、言葉を話し始めた正確なタイミングを覚えている人は少ないでしょう。しかし、誰もが自然と発音を咀嚼し、舌や口の使い方を覚え、話し言葉を獲得していきます。こうして「生き抜くための知恵」を得るための土台が形づくられていくのです。

その後、人はさまざまな出会いと経験を通じて知恵を深め、成長していきます。このときに得られる知恵が、創造主の意、すなわち「世界の理」に沿っているかどうかによって、その後の人生が苦難に満ちるか否かが決まるとされています。

本来、人間は「世界の理」に沿って生きることが望ましいと、創造主は語ります。しかし実際には、私たちは生まれたときから自分で知識を学び、小さな経験をもとに「自分なりの理念」を築き、それに従って生きていく傾向があります。

なぜなら、この世界には嘘や悪意が混ざっており、「何が真実か」が分かりにくいからです。信じるべき神ですら、真の神と偽の神が存在しており、宗教でさえも偽りが含まれていることがあるため、結局は「自分を信じるしかない」という状況に追い込まれてしまうのです。

「人間だけが頑固で、独自のやり方を確立します」と言われるように、自分しか信じられないがゆえに、他の声に耳を傾けることが難しくなってしまいます。

私自身、『OAHSPE』を知る以前は、エドガー・ケイシーのリーディングを通じて霊的世界に触れていました。ある人物の前世が語られる中で、「死後すぐには転生しない」という記述がありました。当時の私は「では、その間の霊魂はどこにいるのか?」と疑問を持ちました。『OAHSPE』を知った今では、第2の復活に向けて霊界で準備期間があることを理解しています。

こうした事柄から私は、現世の知識──つまり目に見える世界の情報だけでは、霊界や不可視の世界について正しい答えにはたどり着けないと考えています。だからこそ、目に見えない世界については、その世界の住人──特に創造主の知識に頼るしかありません。

しかし、もし神々の中にも善と悪が存在するのであれば、私たちが自己の考えに固執してしまうのも、ある意味で仕方がないことなのかもしれません。

けれども、もしこの世界に奇跡が起こり、目に見えない世界について真実を語る書物が存在するなら──その内容をよく吟味し、学び取ることが、「創造主の意(=世界の理)」に沿って生きるという行為なのではないでしょうか。

たとえば、偽神アフラが改竄したゾロアスター教の聖典『アヴェスタ』のように、偽りの情報が混ざった書物もあります。創造主の名を騙るそのような存在の言葉を信じれば、私たちは本来の道から逸れてしまいます。

だからこそ、「何が正しく、何が間違っているのか」を慎重に見極め、世界の理に沿う努力を重ねていくことが、私たちに求められているのだと思います。

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