【名言】証明されていないからといって、存在しないとは限らない

創造主を信じるとは──人間への敬意から始まる信仰

この世界を創造した「創造主」の存在を信じられるかどうか――結局のところ、すべてはこの一点にかかっているのだと思います。

では、なぜ創造主の存在を信じられないのでしょうか。

その理由のひとつは、人間が「地球で自然発生し、進化を遂げた生命体である」と信じているからです。科学が進歩し、宇宙探査機が他の惑星を調査しても、今のところ生命の痕跡は見つかっていません。それが「人間は地球でしか生まれなかった」という考えを強めているように見えます。

もう一度問います。なぜ創造主の存在を信じられないのでしょうか。

現代は、科学的に証明されていないものは信じないという風潮が強くなっています。たしかに、太陽系内のいくつかの惑星を探査して生命の痕跡が見つからなかったという事実はありますが、それだけで「人間は宇宙で唯一の存在だ」と断定するには早すぎるでしょう。外宇宙にまで探査が及んでいるわけではないのですから。

結局のところ、「創造主はいない」と断定してしまうのは、証明されていないことを「存在しない」と決めつけてしまう現代的思考の限界なのだと思います。科学的に証明されている事実を組み合わせて世界の起源を説明しようとする姿勢自体は否定しませんが、それはあくまで「仮説」でしかありません。

神フラガパッティは、『OAHSPE』の中でこう語っています。「知識を広げるとともに、証拠もそろえていかなければならない」(『フラガパッティの書』第24章24節)。つまり、科学的な探究と信仰は、本来両立するべきものなのです。

問題なのは、「科学で証明されていないから」という理由で創造主の存在を否定してしまう姿勢です。それは、創造主だけでなく、この世界そのものや人間という存在に対して、神聖さや敬意を失っていることに他なりません。

創造主を信じられない背景には、人間に対する敬意の欠如があるのかもしれません。人間を軽んじる社会では、人の命を奪うことすら軽く扱われてしまいます。

だからこそ、創造主への敬意を持つ前に、まずは「人間に対する敬意」を取り戻すことから始める必要があるのだと思います。

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