独力の限界──アフラに与えられた創造主からの戒め
偽神アフラは、地獄を経験したのち、かつての臣民たちと共にアイルキンの天高原で暮らしていました。
その際、アフラは自分の臣民たちが創造主への信仰を捨てかけていることに気づきます。
そこで、女神クペンタ・アミジに対し、「臣民たちの地球への未練を断ち切らせるため、アイルキンの天高原を地球から遠ざけてほしい」と願い出ました。
ところが、創造主ジェホヴィはその願いを退けました。「信仰心が足りない」として、引用部分のようにアフラに戒めの言葉を告げたのです。
信仰心が欠けている者は、自らの力を頼りにしすぎている。
一見すれば、全てを自力で成し遂げようとする姿勢は立派に見えるかもしれません。しかし、それはしばしば「自惚れ」にもつながります。
「自分なら何でもできる」と思い込むことが、かえって判断を誤らせてしまうのです。
アフラは、自分の力では無理だと感じていたがゆえに、創造主に願いを出しました。
しかし創造主は、その姿勢を信仰の欠如として否定したのです。
なぜでしょうか?
実は、すべてを独力でこなせる人間など一人もいません。誰もが誰かの支えを得ながら生きています。
自分に何ができて、何ができないのかを知る──それこそが、「私の中にあるあなたの力を知る」という意味だと考えられます。
自分にはできないことも、他の誰かにはできる。
その「他者の力」もまた、創造主の働きによって与えられているものだと気づくこと。
この気づきこそが、信仰の始まりなのです。
アフラが本当にすべきだったのは、独力でなんとかしようとすることではなく、
自らの限界を認め、他者や神々の力に頼るという姿勢を持つことだったのかもしれません。
信仰とは、「すべてを自分で背負い込むこと」ではなく、
「自分にはない力の存在に気づき、受け入れること」から始まるのです。
アフラに足りなかったのは、まさにその“気づき”だったのだと思います。
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