紀元前22,000年頃、地上の人々は神の怒りを買い、ワガ大陸が水没するという大災害に見舞われました。
この出来事は「ノエ弧」という周期に起きたもので、『旧約聖書』の「ノアの箱舟」の物語は、実はこの事件を元にしたものではないかと推測されています。
もっとも、『ノアの箱舟』には大陸が沈んだとは書かれていませんが、『OAHSPE』では明確にワガ大陸が海に沈められたとされています。
当時この大陸には多くの人々が暮らしていましたが、創造主の啓示を受けて事前に船を準備していたイヒン人を除き、ほとんどの人々が洪水に巻き込まれて命を落としました。
引用文にある「創造主は怒っていた。だから陸地を海の下に沈めようとしているのか?」という問いかけは、人間の立場から見た出来事の解釈でした。
ところが神々は、この出来事を「怒り」ではなく「救済」として捉えていました。
その理由は、当時のワガ大陸には闇の霊魂に取り憑かれた人々が多く、人類は霊的に成長できない限界に達していたからです。
創造主は、人間が再び霊的に成長できるようにするため、闇の霊魂を一か所に集めて浄化するという計画を実行したのです。
つまり神々にとっては、大陸の水没は“破壊”ではなく“再生への一歩”であり、救済措置だったのです。
では、なぜ人間と神々の意図がこれほどまでに食い違ってしまうのでしょうか?
その根本の違いは、「生命を一度きりと見るか、永続するものと見るか」にあります。
もし「人間は死ねば終わり」と考えていれば、極端な行動に走る「無敵の人」が生まれてしまうかもしれません。
しかし「死後の世界があり、今の生は続いていく」と考えていれば、現世での行いや積み重ねはそのまま死後に引き継がれるため、人は自らを律して生きようとするはずです。
つまり、神々の意図を正しく理解するには、「霊魂の継続性」を常に意識しておく必要があります。
現世での行いは、必ず死後にも影響を与えるという前提のもとで生きることが、私たちの霊的成長にとって不可欠なのです。
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