【この名言が生まれた背景】
今回引用したのは、神ホーブが神アトラヴァと共に「オシヴィの瘤(knot)」を討伐した後、残されたドルジたちの更生について語られた『フラガパッティの書』の一節です。
この場面では「主観的(subjectively)」という抽象的な言葉が使われていますが、ここでの意味は、「悪事に手を染めた後、ふと我に返る瞬間」――つまり、「自分の視点で見つめ直すこと」を指しているのだと思います。
たとえ一度堕落したとしても、自らの行いを省みるその瞬間こそ、更生のきっかけになるのかもしれません。

「オシヴィの瘤」の討伐では、神トールを騙っていたオイベという存在が、多くの神々から何度も更生を促されていました。しかし彼はそれを頑なに拒み、ついには暴君の道を突き進むことになります。かつては神であった者でさえ、受け入れる土台がなければ、いかなる説得も意味を持たないということです。
これは人間にも同じことが言えると思います。誰しも、自分が納得しない限りは、他人の言葉を本心から受け入れることはありません。表面上は従っているように見せることができても、心の中で変わっていなければ、同じ過ちを繰り返してしまうのです。
本当の意味での「更生」は、その人自身が心からそう望んだときにしか始まりません。だからこそ、私たちも誰かを変えようとする時、無理に正そうとするのではなく、本人が自ら気づくきっかけを与えることが大切なのだと思います。
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