【この名言が生まれた背景】
平坦な道と茨の道――どちらが人を成長させるのか。
創造主ジェホヴィは、「茨の道」のほうが望ましいとされています。
つまり、苦労を経験せずに成長するというのは、誰かの導きに従って成長しているにすぎません。
引用部分では、地上の人間(アスたち)と交わった天使たちが、創造主から人間の教導を命じられた際にこう語っています。
「あなた自身の意志で、定命の者たちを美徳で縛り、すべての物事を制御しようとするのは、私の考えに反しています。」
これは、すべてを天使が教えるのではなく、人間自身が自ら考えて成長することの重要性を説いているのです。
当然ながら、その過程では失敗や、時に“闇落ち”のような出来事も起こります。
それでも、ただ従順に教えられた通りに成長するよりも、教えに反発しながらでも自ら考えて進むほうが、より価値があると創造主はおっしゃっています。
その代表的な例として挙げられるのが、偽神アフラです。
彼は最初は「主神」でしたが、のちに闇落ちし、偽神となりました。
アフラが反旗を翻したのは、ダンの時代、地球が霊的な闇に覆われ、神々でさえ創造主の御声が届かなくなることを危惧したからです。
彼は、「どんな時でも神の声が届くようにしたい」という動機から、創造主に逆らい、偽神となったのです。
結果として、地球に甚大な被害をもたらし、最終的には自滅して“地獄”へと堕ちました。
しかしその後、彼は救済され、かつて自分が奴隷として扱った人々を教導するという罰を受け入れます。
それでも、創造主はアフラに対し「いずれ偉大な神となるだろう」と期待を寄せ、支援を惜しみませんでした。
(アフラの詳細については『OAHSPE』第20書『神の言葉の書』に記載されています。)

アフラの反抗心とその結果は、まさに極端な失敗の例でした。
それでも赦され、成長の機会が与えられていることは、創造主の意図が「従順」ではなく「自立」にあることを明確に物語っています。
どんなに失敗しても、自ら考え、自らの意志で進むことが、真の成長につながるのかもしれません。
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