【名言】自らの高みに満足した時、成長は止まる

【この名言が生まれた背景】

この名言は、オリアン長の神フラガパッティが地球に降臨したのち、弟子として迎えた神ホーブに語った言葉からの引用です。

神ホーブは、フラガパッティが地球に降臨する以前、自分の統治領域をしっかりと守り、その中で暮らす人々が他の影響に毒されないよう慎重に管理していました。当時、多くの人間が堕落していた中で、これだけの管理ができていたのは非常に立派なことであり、創造主ジェホヴィはホーブの器量を認め、彼をフラガパッティの弟子としたのです。

その後、ホーブはフラガパッティに随行しながら多くを学んでいきます。そして、あるとき「下天」の神ハパチャのもとを訪れた際、ホーブは、自分よりもさらに大きな功績を残している神の存在を知ります。
このときホーブの胸に去来したのは、自分なりに努力してきたにもかかわらず、それ以上の神がいたことへの――おそらく嫉妬の念だったのかもしれません。
しかし、他者が自分より優れていたとしても、それで成長が止まるわけではありません。
神フラガパッティはこう語っています。「自分は理想の高みに到達した」と思ったとき、その人は成長の限界を自ら定めてしまう。努力をやめたその瞬間、人は「地獄の絶壁」に立っているのだ――と。

また、自分がある程度の高みに達したと思うと、そこに到達していない人々を見下してしまう傾向が出てきます。しかし、すべての人間は創造主の一部です。他者を蔑むことは、創造主を蔑むことと同じであり、それは創造主に仕えるすべての存在への侮辱にもつながります。

謙虚であるとは、「自分は偉い」と思い込まないための“戒め”なのだと私は思います。

この世界にも職業や社会的地位によって、上の立場にいる人がいます。そうした人々は功績や経験(あるいは世襲)によってその地位に就いていることが多く、確かに敬意を払われるべき立場にあるかもしれません。

ですが、だからといって驕った態度をとったり、威張ったり、弱い立場の人をいじめたり、未熟な人を見下したりするのは、人間への敬意を欠く行為であり、ひいては人間を創造した創造主に対する敬意の欠如にもつながります。そうした行動は、創造主を敬う者たち――すなわち大天使や神々に対しても、同じく無礼な態度となります。

当然ながら、そのような人が神々の恩恵を受けられるはずもなく、待っているのは望ましくない未来でしょう。

自分自身が破滅しないためにも、「謙虚」であることは必要です。そして、常に前を向き、成長し続けるためにも、「謙虚」であり続けることが大切なのだと感じます。

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