【名言】踏みとどまるべき時と、去るべき時を知ることが魂の知恵である

対ジェホヴィ戦争とアヌハサジの反乱

紀元前3680年に始まった「対ジェホヴィ戦争」、別名「1,000年戦争」は、地球に最も近い下天マイトライアスの神アヌハサジの反乱によって勃発しました。
アヌハサジはデユス(ゼウス)を名乗り、創造主の座を僭称しました。このとき創造主ジェホヴィは、女神クペンタ・アミジを通じて「彼を支配した世界に拘束せよ」と命じ、さらに「私の崇拝者を破壊する権限を与えよ」と指示しました。


神々の計画と人間の問い

ここで私たちが直面する疑問は、「虐殺すらも神々の計画の一部なのか」という点です。虐殺する暴君が罪深いことは明らかですが、その被害を受けた側からすれば「なぜ神は救ってくれないのか」と思うのも自然です。

大局的な成長のためには局地的な犠牲が許されるのかもしれません。しかし、個々人にとっての「生きる目的」が霊魂の成長にあるとすれば、その成長を妨げるような理不尽を甘受すべきかどうかは、再考すべき問題です。


生きる目的と霊魂の成長

人間が日々取り組むべきは、愛を育み、知恵や技術をもって世界に貢献し、魂を豊かにすることです。こうした営みは死後の世界まで引き継がれる「霊的な成長」となります。

もし虐殺や理不尽がその目的を果たす妨げになるなら、それを甘受するべきではないと考えます。逆に、理不尽に踏みとどまることが自らの成長に繋がるなら、その道を選ぶ価値もあるでしょう。

神々の大いなる計画を意識するよりも、まずは自分自身の霊的成長を意識することが大切です。理不尽に遭遇したとき、「それを受け入れることが霊的成長になるのか否か」を問い直すことが、正しい選択に導くのではないかと思います。

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