偶然の二種類──予知できない出来事と計画された出来事
私たちはしばしば「偶然」という言葉で物事を片づけますが、それは本当に偶然なのでしょうか。
OAHSPE『アフの書』12章には、創造主がこう語る場面があります。
「大小に関わらず、いつ地震が起きるかを誰が知っていると言うのですか?」
この言葉から、地震のような自然現象は、創造主であっても予知できないことがあると解釈できます。
しかし今回引用した神イフアマズダの言葉は、一見偶然に見える事象でも「運任せではない」と告げています。
この二つをあわせると、この世には「自然現象のような予知できない偶然」と「計画された偶然」という二種類が存在すると考えられます。
霊界からの干渉と「偶然」
私たちが生きる実体界では、肉体という制約があります。
霊体であれば一瞬で何千キロも移動できるかもしれませんが、肉体を持つ以上、物理的手段でしか移動できません。
このように制限のある世界に、不可視の霊界から干渉が加わることがあります。
その影響を私たちは「偶然」と呼ぶかもしれませんが、実際には偶然ではない可能性もあります。
もし偶然と感じる出来事があったら、それが神々や天使の意図によるものかどうか、一度考えてみる価値があるでしょう。
現世は霊魂の「実習の場」
第2の復活を経て現世に転生してきたのには、必ず理由があります。
この現世は、肉体を持たなければ体験できない出来事を通じて霊魂を成長させるための「実習の場」だと考えられます。
「見てください!これが私が作った新世界です。ここに来て、楽しんでください。あなたたちが暮らしていた他の世界の過去が、実はどのような感じだったのかを学ぶことができます」
――OAHSPE-3『ジェホヴィの書』6章-13
この現世では、生まれた瞬間に周囲の愛を感じ、生き抜くための知恵を磨き、魂を鍛えて力を得ることができます。
霊魂だけでは学べないことを学ぶために、私たちはここに生まれてきたのです。
偶然を学びに変える生き方
だからこそ、この世界での出来事を「偶然」で片づけず、その背後にある意図や学びを探ることが大切です。
そして、この現世を全力で学び、楽しみ、霊魂を成長させることが、私たちに与えられた本当の使命なのだと思います。
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