【名言】神を騙る者ほど、神の顔をして現れる

神を騙る“闇の霊魂”に惑わされるな──アブラハムが教えてくれた見分け方

紀元前4000年ごろに活躍したとされるアブラハムは、『旧約聖書』の『創世記』にも登場する預言者です。
彼はソドムとゴモラの町が滅びた後、そこから追い出された“闇の霊魂”たちに恨まれ、意趣返しとして騙されかけたことがありました。

OAHSPEによれば(『神の第1の書』9章11〜19)、その“闇の霊魂”は神を名乗り、アブラハムに一人息子イザクを生贄として捧げるように命じます。
イザクを丘に連れて行き、薪を積ませ、そこで殺せというのです。

けれどもアブラハムは、心のどこかでその命令に違和感を抱いていました。
それは、自分が知っている「神」は、決して誰かを殺すよう命じる存在ではないという確信があったからです。

そこで彼は、こう問いかけます。

「あなたが本当に神であることを示してください。
それなら私は間違えずにすみます。
なぜなら、神は私に“誰も殺すな”と命じたからです。」

この言葉によって、アブラハムは“神を騙った闇の霊魂”を見抜き、罠を回避することができました。


✨ 見分ける力は、信仰者にも必要

このエピソードから学べる大きな教訓は、**「神に選ばれし者でさえ、悪の天使に騙されることがある」**ということです。

私たち実体人(コーポリアン)は、霊魂や神の本質を見抜く感覚を本来的には持ちません。
目の前で奇跡が起これば、それを「神の御業」と受け止めてしまいがちです。
ですが、神にも霊魂にも、“光”と“闇”があるのです。

では、どうやってそれを見分ければよいのでしょうか?

アブラハムはこのように述べています。

「彼らはジェホヴィに従いあなたたちを教え、
いかなるものも犠牲にせず、
あらゆるものの生命であり、
あらゆるものを幸福にする聖なる者なのです。」

つまり、その存在が──

  • 誰かを犠牲にしていないか
  • 命を軽んじていないか
  • 自分や他人を本当に幸福にしようとしているか

この3点が、見分ける基準になります。


🕯️ 人間社会にも通じる「霊魂の見分け方」

これは霊界だけの話ではありません。
現実社会でも、悪意ある人物は“闇の霊魂に憑かれている”と考えてよいのです。
そういった人間に騙されないためにも、私たちは「見分ける目」を養う必要があります。

  • この人は、自分や他人を本当に幸せにしようとしているか?
  • 誰かを犠牲にして、自分の利益だけを求めていないか?

アブラハムの姿勢は、時代や次元を超えて、現代の私たちにも通じる「生き方の叡智」なのかもしれません。

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