光と闇の創造、その目的とは──神々が身を窶してまで奉仕する理由
紀元前22,000年頃、パン大陸が水没し、多くの人命が失われました。この大災厄のとき、上天から数百万もの男神・女神が死者の霊魂を救済するために駆けつけたといいます。
「高位の身分の彼らが身を窶(やつ)している」とは、快適な上天の暮らしを離れ、自ら進んで下天に降臨していることを指しています。なぜ、あえてそのような苦労の道を選ぶのでしょうか。それは「叡智と力、そして愛を獲得するため」だと語られています。
この世界は、創造主によって創られたと言われていますが、「無」から何かが生まれることはありません。つまり、創造主もまた、この世界より外にある「外世界」の住人だと考えるべきでしょう。
創造主がこの世界を創造した目的は何か。それは、おそらく「光の強度」を持つ霊魂を数多く育てることにあるのだと推測されます。その霊魂の数や質こそが、この世界の価値を決め、外世界における「評価指標」となっているのでしょう。
はじめに創造主は「光」だけを創りました。しかし、光だけでは成長が止まり、停滞してしまいます。そこで「闇」を加えました。闇は光の進行を妨げる存在であり、退化の要因でもあります。それに打ち勝とうとすることで、光はより強くなっていくのです。
もし、この「光の強度」が創造主と同等にまで高まれば、霊魂は新たな世界を創造できるようになるかもしれません。そうして、また外世界に新たな創造がなされるのではないかと考えられます。
創造主は、自らと同じほどの光を持った霊魂を育てることを目的の一つに掲げているのではないでしょうか。たとえ闇に堕ちた霊魂であっても、放置することはありません。様々な方法を用いて、改心と成長へと導こうとしています。
だからこそ、高位の神々が身を窶してまで、霊魂たち──すなわち「子どもたち」の成長に奔走するのです。他者への奉仕を通じて、自らの光も強くなり、創造主へと近づくことができる。それが神々の霊的成長の道でもあるのです。
創造とは、ただ何かを作ることだけではありません。「命を吹き込む」こと、すなわちその対象に奉仕することもまた「創造」なのです。何かを生み出すことの喜び、そこに「創造」の本質があると創造主は言います。
そしてその道こそが「叡智と愛を獲得するための道」です。上天の神々は、この道を選び、快適さを捨ててでも奉仕に身を捧げています。それが神々の生き方であり、私たちにも続けられる「光の道」なのです。
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