出来の悪い子も「わが子」──神々の視点と栄光の本質
紀元前22,000年ごろ、パン大陸が水没した際には、多くの人命が失われ、彼らは天界へと救済されました。
このとき、水没の指揮を執ったのは神アフでしたが、神アフは元凶となった闇の霊魂を隔離するため、ハウツォンという場所へと向かいました。
一方、地球の神であったネフは、自分は今後どうすればよいのかを創造主ジェホヴィに祈り求めました。
今回引用しているのは、その祈りに対して創造主ジェホヴィが返した言葉です。
創造主は、たとえ闇に堕ちた霊魂であっても、それは地球の神ネフの「家族の一員」であると指摘しました。どんなに出来が悪くとも、それでも「自分の子ども」であることを忘れてはならない──そう自覚を促したのです。
そして、出来の悪い子どもを改心させ、出来の良い子どもへと導いたとき、それが「真の栄光」であると語られました。
当然ながら、出来の悪い子どもを立ち直らせるには、時間も労力もかかります。手間ばかりで成果も目に見えにくいかもしれません。それでも、神々(男神・女神)はその困難を深く理解している、というのが創造主の考えでした。
これは現代にも通じる話だと思います。
たとえば、会社で出世コースを外れた人が、目立つ成果よりも後進の育成に力を入れていたとしましょう。企業という組織は、どうしても業績や数値で評価を下しがちです。けれど、神々が見るのは「人間の成長にどれだけ貢献したか」です。
現世での成功を優先するのか。
それとも、小さくても他者の成長に寄り添う生き方を選ぶのか──。
引用された言葉は、私たちにその問いを投げかけているのだと思います。
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