【名言】賢者とは、信仰と知識の間に橋を架ける者である

「信仰」と「不信仰」──そのどちらにも意味があるという教え

『OAHSPE』では、「信仰」と「不信仰」という二つの在り方に対し、特に「不信仰」にも価値があると説いています。それが「真実と知識」の追求です。

「信仰」とは、霊界の創造主を信じることを意味しますが、似た概念に「崇拝」があります。これは創造主以外の存在──たとえば他の神、人間、物などを信じることを指します。「信じる」という行為自体は同じですが、信じた対象が正しい道を示しているとは限りません。

たとえば「戦の神」が戦争に勝つ方法を教えたとしても、そもそも戦争は必要な行為なのかと問えば、『OAHSPE』は一貫して「否」と答えます。創造主は、命ある存在を殺すことを禁じているからです。命を奪うたびに、魂(精神)は穢れていくとされているのです。

では、「自分を殺そうとする相手がいたら、戦うべきか、それとも逃げるべきか?」という問いに対してはどうでしょうか。魂が穢れないならば戦うべきであり、穢れるのであれば逃げるべきである、と考えるのが『OAHSPE』の教えです。

ここで問題となるのは、「魂」という存在を信じるか否かという点です。霊界を信じる者は「魂が穢れる」という考えに納得できるでしょう。しかし、霊界を信じない者にとっては、それは目に見えない存在であり、信じがたいものと映るかもしれません。

霊界を信じる者は、目に見えない「幸福」を追求します。一方、霊界を信じない者は、目に見える「真実」と「知識」を重視します。

ただし、霊界の幸福を追い求める者は、現実世界(実体コーポ界)への関心が薄れることがあり、危機管理が後手に回るなどの弱点を抱えることもあります。そのため、時代の流れについていけず、「愚鈍」と見なされることがあります。

一方で、真実や知識のみを追い求める者は、霊的な部分や感情を無視しがちになり、冷酷な振る舞いをすることがあります。理屈を優先し、相手の心を置き去りにするような態度は、人々の反感を買いやすいのです。

そこで『OAHSPE』は、このように説きます。

「賢い者は、この二つの状態の均衡を保とうとする」

信仰と知識、霊界と実体界。どちらかに偏ることなく、バランスよく両方を尊重して生きること。
それが、創造主が伝えようとしている世界の真理のひとつなのかもしれません。

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