【名言】真実かどうかよりも、その信仰が何を生むかが大切である

永遠の生命を語る伝道者ブラフマと、不信仰者ホグのまなざし

紀元前4,000年頃、ヴィンデュ(現在のインド)において、伝道者ブラフマとその家族は、40日間にわたって神との対話を行い、その言葉を書き記して『聖書』としました。

対話を終えたブラフマ一家は、神の命によって人々への説法を始めました。ブラフマの説く内容は、貧しい者だけでなく、富を持つ人々の心にも深く響き、ある者は全財産を献上してでも信者になろうとしたほどでした。

富裕層の心に響いた理由の一つに、「永遠の生命」がありました。

この世において肉体は朽ちて死を迎えますが、霊魂は残り、死後は転生に向けた修業が始まる――それがブラフマの教えでした。

しかし、現世で神の奇跡を目の当たりにしていない人々にとっては、死後の世界を想像することは難しいかもしれません。そのため、多くの人が現世を楽しむことに意識を向け、精神的な成長をなおざりにし、その結果、悪事に手を染めてしまうこともあります。

そうした行いの果てに、死後の世界では地獄のような領域や「瘤(knot)」に囚われるか、あるいは天界に行けたとしても「特別収容コロニー」のような施設に隔離される可能性もあるのです。

そうならないためには、心を浄化し、第三の復活──すなわち上天への昇天を目指すことが望ましいとされています。

ただし、このような話を神を信じない人々が聞いたとしても、おそらく笑って受け流してしまうでしょう。

興味深いことに、ブラフマには7人の息子がいましたが、そのうち末子ホグだけが不信仰者で、他の6人は皆、創造主を深く信じていました。ホグは常に冷静な目で、信仰に熱心な家族を見つめていたのです。

このような構図もまた、神々の計画のひとつだったのかもしれません。そして、そのホグが語った次の言葉が、今回ご紹介する引用です。

「彼らが言っていることは真実かもしれない。もしそうなら素晴らしいことだ。たとえ真実でなくても、人々がそれを信じて正義や善行に励むのなら、それは良いことではないか。」

ホグの言葉は、信仰を持たない立場から見た信仰の価値を、非常に的確に表現しています。

つまり、もし信仰によって人々が善を行い、他者に優しくなるのであれば、その信仰が“真実かどうか”にはそれほど意味がない、ということです。

ただし、逆に信仰を理由に人々が他者を傷つけたり、害をもたらすようであれば、それは止めるべきだと彼は考えました。

ちなみに『OAHSPE』において「信仰者」とは、創造主(ジェホヴィ)を信じる者のことを指し、他の神や偶像を崇拝する者は「信仰者」とは見なされていません。

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