放浪の民アブラハムと、信仰に生きた者たちの覚悟
紀元前3,000年頃、現在のペルシアにあたるパーシーの地で、アブラハムは王侯貴族の奴隷として生まれました。しかし、彼は幼い頃から神の声を聞くことができたため、その声に従い、若いうちに脱走します。そして、かつてザラツゥストラが逃れて身を寄せたこともあるリスティア人の下に匿われ、そこで鞄職人として暮らし始めました。
アブラハムは若い頃から神の奇跡を人々に示し、多くの者たちを魅了しました。その話を耳にした他の奴隷たちは次々と脱走し、彼のもとに身を寄せるようになりました。アブラハムは彼らを率いて、ホゥド・ルッツ(Howd-Lutz)の地へ向かい、そこに新たな集落を築きます。そこに集った人々は、創造主を信奉し、その掟に従う者たち──つまり信仰者でした。
あるときアブラハムは、他の部族の人々がこの集団に加わりたいと言ってきたら、どのように対応すればよいのかを神に問いかけました。
それに対して神はこう答えました。
「ただこの集団に加わるだけでは、地獄から逃れたことにはならない。神の教えを説く者は、誰よりも神に忠実で、信仰深くなければならない」
アブラハムが率いたこの集団は、後に「イスラエルの民」と呼ばれ、「放浪の民」として知られるようになります。彼らは戦いを避け、もし住まいを追われたら、別の土地へと移り、その土地を開拓する使命をもって生きていました。それが、創造主から授けられた掟だったのです。
理不尽にも思えるその掟を受け入れるには、並々ならぬ覚悟が必要だったことでしょう。しかし、アブラハムや彼に従った者たちは、それを甘受しました。
そうした民を導く者には、誰よりも創造主や天使たちの意志を深く理解し、それを人々に伝える責任が求められました。なぜなら、自らの手で開拓した土地から追われるという重い試練に対し、その背後にある神の意図を知らなければ、仲間たちを導くことはできなかったからです。
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