神ヴィシュヌの言葉──指導者の責任とは
偽神アフラから創造主のもとへと帰属し、主神となった神ヴィシュヌは、配下の副神たちをまとめるために、ひとりの長官を任命しようとしました。
しかし、副神たちは「指導者」という立場に伴う重い責任を恐れ、いずれもその任を引き受けようとはしませんでした。
今回引用したのは、その際に神ヴィシュヌが語った言葉です。
指導者になるということは、当然ながら重い責任を背負うことを意味します。責任の重さを理解せず、ただ報酬や地位の魅力だけに惹かれて引き受けてしまえば、最終的に部下たちに迷惑が及ぶことになります。
だからこそ、指導者に選ばれた者は、その任務に真摯に向き合い、責任を持って取り組まなければならないのです。
とはいえ、自分の力が不足していると感じていても、時にはその役割を担わなければならない状況もあるでしょう。そのような場合でも、「できる限りの努力を尽くそう」とする者に対しては、神々が救いの手を差し伸べてくれるとヴィシュヌは語っています。
指導者になるということは、単に地位を得ることではありません。部下や配下の命運を背負い、最後までその責務を果たす覚悟が必要です。自ら途中で投げ出すことなく、解任されるその時まで、誠実にその務めを果たす姿勢こそが、真のリーダーに求められているものだと思います。
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