不文律こそが神の教え──アブラハムとヴィシュヌの対話から見える政治観
アブラハムが神ヴィシュヌと共に歩んでいた時の対話から、政治に関する問いに対する神の答えが引用されています。
ヴィシュヌ神は、神によって選ばれた民には「政治」は必要ないと語ります。その代わりに、「平和に秩序よく、協調性と愛をもって暮らす」ことを教え、あとは各自が自律していくことが望ましいとしています。
この考え方は、かつての日本人であれば素直に受け入れられるものかもしれません。私たちの社会には、不文律によって守られる「常識」が自然と共有されていたからです。
たとえば海外では、「ここで寝てはいけません」といった標識が掲げられる場面があります。これは、公共の場所で寝ることを法律で禁じなければならないという前提があるからです。しかし日本では、そのような注意書きを見かけることはあまりありませんでした。なぜなら、多くの人が「ここで寝てはいけない」という暗黙の了解をもとに行動していたからです。
ヴィシュヌ神が語った教えとは、まさにこのような「常識」が根づく社会のことを指しているのでしょう。最近の日本では、さまざまなルールや注意書きが増えています。それが異国からの影響によるものなのか、あるいは社会全体のモラルが低下しているためなのかは分かりません。ただ、少し寂しさを感じずにはいられません。
海外の制度を無条件に崇めるのではなく、日本に根づいていた「不文律による共通感覚」こそが、古代の神々の教えに通じるものであり、私たちが大切に守っていくべき美徳ではないかと思います。
コメント