「独り立ち」とは、突き放す愛と見守る覚悟のこと
庇護される立場から抜け出し、自立して生きていくこと。これが「独り立ち」です。
独り立ちを果たすと、それまで制約されていた生活から離れ、自分自身の判断で物事を選び、行動できるようになります。
しかし神クペンタアミジは、そこには「期待」と「自惚れ」が常につきまとい、時には闇に堕ちる危険もあると語っています。
それでも、成熟した一人前の存在へと成長するためには、「独り立ち」は避けては通れない道です。そのため神クペンタアミジは、下天に仕える神々に対しても「手綱を緩めよ」と命じています。
独り立ちを見守る立場の者にとっても、突き放すには大きな勇気が必要です。
見守る側は、突き放した後の「後始末」と「手本になること」――つまり教育のみが役割であり、それ以上の保護を施してはいけない、とここでは言われています。
過保護は、かえって独り立ちの妨げとなり、悪影響しかもたらさないということです。
もちろん、神々であっても突き放すことによって多くの人間が闇落ちし、それが「地獄」や「群れ(knot)」を生むこと、そして自分たちの負担が増すことを理解しています。
それでもなお、人間の成長のためにはこのプロセスを受け入れ、甘んじて見守るのです。
だからこそ、私たち人間も、そうした神々の見えざる愛と覚悟に、感謝の心を忘れてはならないのだと思います。
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