【名言】猿を兄弟と呼ぶとき、魂の由来を見失う

【この名言が生まれた背景】

人間は創造主の御業によって生まれた──ダーウィン進化論と神の言葉のあいだで

日本は、宗教や霊的な教えが根付きにくい特殊な土壌を持っているように思います。そのため、「人間は創造主の御業によって生まれた存在である」という認識を持つ方は、残念ながら多くないのが現状です。

かく言う私自身も、頭では理解していても、まだ十分に実感を持てているとは言えません。しかし、かつて子どもだった頃に信じていた「ダーウィンの進化論」──つまり、人間は猿から進化したという説──を、大人になった今でも心から信じられるかというと、正直なところ、そうではありません。

「猿と人間は兄弟である」と言われた時、心の底から納得することはできないのです。

創造主ジェホヴィは、人間を特別に創造されたと説いています。他の動物と違って、人間には不滅の霊魂が宿され、輪廻転生が許されている存在です。

人間は生まれた時には知識を持たず、成長しながら学び、空白を埋めていきます。一方で、猿を含む動物たちは、生まれながらにして本能や生存に必要な知識を備えています。

このような根本的な違いがある以上、猿と人間を同類と見なすことは、創造主への敬意を欠く考え方であり、人間が「偶然の産物」と誤解されてしまう原因にもなっているのではないでしょうか。

今回引用したのは、創造主ジェホヴィがパン大陸を水没させることを決断された際のお言葉です。その中で「人間は自らの僅かな知識に酔いしれ、全てを知ったつもりになる」と仰られています。

この言葉を聞くと、「人間は猿から進化した」という進化論こそが、その「知ったつもり」の象徴のようにも思えます。

私たちの肉体は、やがて老い、死を迎えます。しかし、霊魂は死後も残り続け、成長していればその能力は次の世界に引き継がれます。だからこそ、生きている今この時を、自らの霊魂の成長のために用い、功徳を積んでいく必要があると私は思います。

コメント